ニューヨーク・シティ・ラボ・スクール訪問 末永 浩
私達は 4 月 29 日、 ニューヨーク・シティ・ラボ・スクールを訪れた。
午後 1 時 10 分、 講堂で高校生代表があいさつをした。 ロバートさんの紹介で 「ひまわり合唱団」 全員 16 名が壇上へ。 被爆者で平均年齢 77 歳、 最高 88 歳。 男性は指揮者の寺井さんと小西さん。 これらの人々は NPT 会議へこられ、 今後一切の核兵器をなくす活動をしていると紹介された。 田上長崎市長も紹介された。
45秒のカウント |
司会者、 「幸せなことを思って下さい」 (原爆投下から爆発までの 45 秒間あった)
寺井さんが話した。 「私達は"ひまわり"と申します。 わたしたちは原爆による戦争犠牲者です。 世界はまだ平和だと言えないと考えています。 犠牲者はいつも弱い者たちです。 世界平和と核兵器廃絶の思いをこめて歌ってきました。 今日は力の限り歌わせて頂きます。 「浦上」 「鳩よ」女性の被爆者が話した。
「あの日、 私は 9 歳。 長崎市の西山にいました。 原爆の爆発により家の窓ガラスは割れ、 私の体に突き刺さりました。 母は妹を抱いて爆心地近くの大学病院へ行っていて、 どこで被爆したのか、 骨さえも拾えませんでした。 その翌年には父も他界しました。 私は祖父の手伝いで学校には行けなかった。 今も長崎の浦上の地に母と妹は眠っています。」
寺井さん 「続けて 2 曲歌います。 一緒に歌って下さると嬉しいのですが。 すぐに歌えますよ。 ウィ ネバー フォゲット ナガサキ・・・人間の命を今こそ心に・・・この世界中から核をなくすために・・・ウィ ネバー フォゲットヒロシマ・・・」
田上長崎市長が発言した。 「皆さんに会えてとても嬉しいです。 長崎は日本の一番西の端にある人口 43 万人の港町です。 どうしてナガサキから NY へ来たと思いますか?国連で NPT の会議があったからですが、 伝えたいメッセージがあったからです。
右端から私、通訳の畠山さん、学校関係者 |
いま世界には 16,000 個の核兵器が存在し、 使用される可能性があります。 みなさんの世代が二度と核兵器の惨害を経験しないように。
今から山下さんが被爆体験を話してくれます。 仲間にそんなことが起こったらと思って聴いて下さい。 若い者の人生が戦争に妨げられないように。 心の中に残して下さい。 ありがとうございました。」 山下泰昭さん (メキシコ在住) が英語で被爆体験を話された。
私が 2 冊の原爆紙芝居 「ノーモア・ヒバクシャズ・山口仙二さんの叫び」 と 「赤い背中・谷口さんの原爆」 (いずれも日本語英語対訳表記) と、 あと 2 冊の冊子と長崎原爆写真集を贈呈した。 藤沢市長からのプレゼントが贈呈された。
会場の様子 |
集会後、 誰かが私の近くに来て 「今日の学校の図書室で紙芝居が展示してあるのを見て、 強いメッセージがあった」 と私に言われた。 私は 「ありがとうございます」 といった。 会は 2 時半に終了した。 私の感想は 「世界の指導者の被爆地訪問を」 (朝日新聞 「声」 欄 2015 年 5 月 20 日付け) に書いています。