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平和教育フォーラム |
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平和教教育推進こ向けた取り組みと課題
継続性があり、若者の心を動かす平和教育を
木村朗、石栗勉、キャサリン・サリバン、草野十四朗、伊藤和吉、ケイト・デュースの6氏によるプレゼンテーションが行なわれ、溝田勉教授がコーディネートおよび総括を行いました。約100人の参加者があり、一部の参加者はフロアから質問し、コメントを行ないました。
第1部は、デュース博士のパワーポイントによるプレゼンテーションから始まりました。博士は、ニュージーランド国民が2002年の「軍縮・核不拡散教育に関する国連研究」の勧告をいかに実践しているかについて、例えば平和都市や博物館、図書館、映画、書籍、公園作りといった例を挙げて説明しました。全国の博物館と学校や大学において、広島と長崎、ガンジー、劣化ウランに関する展示や、ニュージーランドの非核政策と世界法廷運動開始20周年を記録した展示が行なわれています。
木村教授は、広島と長崎への原爆投下の決断がいかに「第二次世界大戦の早期終結と多くの人命の救済」のために正当化されたかについて概説しました。これは事実に基づいておらず、核抑止論と密接に結びついた歴史神話だったのです。木村氏は、原爆はソ連の領土拡張政策を最小限に食い止め、新型兵器を実験するために使用されたと考えます。彼は、参加者が被爆者の経験を生かして次世代に核兵器について教えるよう、促しました。戦争と原爆の生存者に対する補償を政府から求め核抑止論を放棄し、核兵器を違法化すべきです。
石栗勉氏は、「軍縮・核不拡散教育に関する国連研究」の勧告を実践するために国連アジア太平洋平和軍縮センターが取り組んでいる活動の概要を説明しました。これらの活動としては、日本とインドネシアにおける会議の主催や教材開発の支援、研究の奨励などが含まれます。石栗氏は、昨年国連総会で採択された18件の軍縮決議案の概要を説明し、各国の投票パターンを見守るよう、参加者に促しました。また、日本が10件の決議案を支持したことを述べました。氏は、世界の要人やマイケル・ダグラスなどの俳優が広島と長崎の平和記念館を訪れるよう、働きかけました。
草野氏は、氏が教鞭をとっている活水高等学校での平和教育活動を概説しました。生徒たちは被爆者から体験談を聞き、その英訳に協力しました。多くの生徒は、たとえば高校生一万人署名運動、平和宣言の起草、長崎平和推進協会、青少年フォーラム、長崎原爆資料館の手伝いといったピースポランティア活動に参加しています。
県立長崎シーボルト大学生の伊藤氏は、長崎で生まれ育った中で経験した平和教育について述べました。小学校で核兵器について教わったものの、実際、生徒たちは平和学習に関心をもっていませんでした。彼は高校で平和集会の組織運営に携わり、平和学習に興味を抱くようになりました。大学ではピースサークルを立ち上げ、サークルには現在36人の部員がいます。部員たちは、募金、上映会、碑巡り、本集会の青少年フォーラムの運営などに携わっています。また、平和教育を全ての生徒にとって持続可能で刺激的なものとする方法を模索しています。
休憩後、サリバン氏は、ピースボートなど世界中の若者グループと共に促進している平和活動の一部を描いた60枚の写真を見せながら、インタラクティブなプレゼンテーションを行ないました。氏は、聴衆の若者たちのグループから反応を引き出すために「ビービー弾」を金属板の上に落として、現在世界が保有する核兵器の力を表しました。ある被爆者は、その音を体験したときに痛みを訴えました。この試みは、いかに核問題と核戦争が我々自身に影響を及ぼすかについて感情を共有することの重要性を浮き彫りにしました。サリバン氏は、自らが国連サイバースクールバスと包括的核実験禁止条約のウエブサイトにカリキュラムを書いていること、また、核兵器とチェルノブイリの核爆発による影響を描いた写真展の国際赤十字博物館での開催に協力していることについても述べました。
フロアからの討議で、ある公立学校の教師は、自分たちが平和教育を推進しようとすると、時折、地方自治体と教育委員会の双方から負の圧力を受ける、と述べました。大学の先生方は、平和教育を行なう際に「核兵器廃絶」という用語を用いることの重要性を述べました。日本の外務省が国連事務総長に提出した「軍縮教育に関する報告書」は、決議を実践するために政府が取り組んでいる多くの活動にハイライトを当てています。しかし溝田氏は、外務省が推進している教育と、文部省が地方の「教育委員会」制度を通じて行なっている教育に食い違いが見られる、と指摘しました。文部省は、特に平和と軍縮に関して、国連研究の勧告を推進し、実践する必要があります。
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第3回大会のキャラクター
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