分科会4:平和教育フォーラム
平和教育推進に向けた取り組みと課題
はじめに:コーディネータとしての挨拶と呼びかけ 溝田 勉(長崎大学大学院教授)
日本では、文科省や教育委員会の判断として特定のイデオロギー(政治思想や宗教的信条)に偏りがちな平和教育が行われていると考えられ、先ずもって教科数育との対照でまがいもののように扱われてきました。従って被爆地長崎あるいは広島といえども学校の教師には取組みに遠慮があるまうに思われます。市民やNGOもこれに似た社会環境の中で核兵器廃絶を訴える故に、インパクトに欠け被爆実相の継承が風化するおそれがあります。そうでなくても我が国のような場合、過去10年間に随分右傾化した社会的雰囲気が進み、非武装を前提とする平和教育、教育基本法あるいは憲法までが再検討を問われる段階に入っています。
国際社会で核廃絶に向けた同調者や理解者を増加させるためには、貧困や紛争、人権や環境、さらには感染症の問題まで平和教育の下での学習が望まれます。さらに共通の問題として「一緒に考えよう」という姿勢が大切になって参ります。
長崎では核兵器廃絶を求める「高校生1万人署名活動」があり、一方では開発途上国に文房具を贈る活動も行われています。平和創生の事業活動や運動も多様化して参りました。しかしボランティア人「財」は大いに不足しています。近未来に国際会議等でオピニオンリーダーが是非被爆地長崎を経験した人の中から育って欲しい。研修を受ける機会や場を重ねて、人材を輩出したいものです。
当分科会のスタンド・ポイント
戦後61年が過ぎた今を再スタートの時と捕えます。抑止力としての核兵器の存在の高まりに加え、新たな核の拡散が世界を脅かしています。被爆体験の風化が叫ばれる中で如何にして被爆からの平和問題を継承して行くか、どのように平和文化を醸成・構築してゆくか、被爆地長崎から平和教育に関する国内外の現状と課題について以下の3つの問題視点を柱に議論を深めたいと考えます。
- なぜ原爆を平和教育・学習に欠かせない「教材」として語るのかということ。原爆を落とされたという「被害者意識」のみではなく、核兵器や大量被壊兵器の生産や使用が「人類の滅亡」につながるという普遍的な問題があることを運動の動機の基礎におく必要がある事。
- 原爆を語ることだけが平和教育ではないということ。今開発途上国は貧困や環境、病気や人権など多くの問題を抱えている。そうした問題にも目を向け、解決法を探ることが、遠回りのようには見えるけれども結局、核兵器問題への理解者と協力者を増やす方策ではなかろうか。参加協力は当事者の生存・生活に如何に身近なものであるかによって決まる事。
- 今、平和に貢献できる人材が枯渇している。「平和教育・学習」のあり方が問われている。もちろん一方では日本国内を騒がせている問題、即ち「いじめ」や「不登校」さらには「自殺」の問題がある。こうした暴力や自虐を放置しておいて良いわけはない。家庭・学校・社会は相携えて暴力の無い環境を作ってゆかねばならない。学校は若者が社会性を学ぶ拠点である。しかし他方で、「教育委員会」を現在のような中央集権的ではなく、現場の人間味豊かな声を反映させる地域に根差した運営方法に改善させ、平和教育に組み入れてゆくことを提案する事。
以上のようなことを分科会を通じてのネライに致したいと考えます。
当分科会には、世界的にも著名なニュージーランドや米国の平和活動家らが本日こに来られています。また軍縮担当の国連の現役職員にも参加していただきました。「軍縮教育」や「核不拡散教育」という名称で呼ばれる平和教育の現状や課題を知ると同時に、海外における地域での教育の具体的方法や豊かな教材など、さまざまな実践事例を紹介していただきます。また日本における教育現場からも専門家や教師、学生さんにも出席していただいた。被爆継承の意識や目的、現場で感じる素朴な疑尚や課題、問題点を報告していただくのです。
なお、近い将来を担う学生、生徒、若者が平和教育や学習の対象となるという点では、本日午後に行われる青少年フォーラ ムと一体のものです。従って、本日午前中では大人としての市民、社会人といった個人、あるいはNGOの立場を中心に考えてみます。
ここで、予めの御案内を復習しておきましょう。
第4分科会名:「平和教育フォーラム」
テーマ=平和教育推進に向けた取り組みと課題
今回のテーマにかけたネライを以下の事柄とし
1)平和教育の意義や目的を被爆地から再確認する。
2)平和教育や学習の多様なあり方(内容及び方法)を内外の専門家から学ぶ。
戦後60年が過ぎた今、依然として暴力文化の頂点をなす核兵器の存在とその新たな拡散が世界の平和を脅かしています。被爆体験の風化が叫ばれる中で、被爆地の小・中学校での平和学習・教育取り組みや高校・大学での実践、国連が提唱する軍縮・不拡散教育の経緯等を踏まえ、平和教育の現状と課題について話し合います。 |
それでは只今から、予め実行委貞会で選考いただいた6人のスピーカーからお話いただきたいと思います。
これらのお話を伺いつつ、(A)なぜ平和教育・学習が必要なのか?(B)アイディア・方法を駆使して、平和教育がどのように行われているか?(C)平和学習を私達により身近なものにするためには、どのような創意工夫が考えられるかの3つに注目して欲しいと思います。
スタッフの構成は発言順に次のとおりです。
コーディネータ
溝田 勉(長崎大学大学院教授) ケイト・デュース(ニュージーランド・元国際平和ビューロ副会長)
スピーカー(発言順)
木村 朗(鹿児島大学教授) 石栗 勉(国連アジア太平洋平和軍縮センター所長) 草野十四朗(清水高等学校教諭)
伊藤 和書(県立シーボルト大学生) キャサリーン・サリバン(米国・軍縮教育活動家)
以下の内容は、サブ・コーディネータのケイト・デュース博士(ニュージーランド)が閉会集会において報告した各スピーカー発言内容の要約です。発言順に紹介すると、
ケイト・デュース博士
国連に直接関係した専門家が2002年にまとめた軍縮教育及び核不拡散教育の研究成果に基づく勧告を生かす形で出身国では様々なプログラムを展開してきた。その中には平和に因んだ都市・街創り、博物館や図書館を通ずる事業活動、映画や書籍の製作、人形劇、公園の造成等がある。さらには長崎、広島に関する原爆写真巡回展示、ガンジーに見られる非暴力主義人間像、劣化ウラン弾等の殺戟兵器に関するもの、あるいは母国が非核兵器地帯形成に加わる事を宣言して20年を迎えた記念行事や国際法延の模様を国内の博物館や学校・大学等で再現・公開したいきさつ等について自国政府・国民の地球平和に賭ける熱意と共に説明した。教師のための手引き「学校における平和教育」の日本語版パンフの内容についても触れた。
木村 朗教授
第2次世界大戦の終結を早め、何百万人ものさらなる生命を救うという名目の下に原爆投下の決定が如何に成されたかの歴史的事実を検証し発表した。判明した事の一つは、常に核抑止論に紛れ込ませて説明される歴史的神話の皮肉である。同氏によれば2発の原子爆弾投下は@ソ連の参戦拡大を阻止させた、(参新兵器の実験日的であった、と2点の事柄は疑いないと断定する。また同氏は、参加者の方々がいつも被爆者の体験を将来世代に伝えてゆく「継承」の過程にこそ学ぶべき事柄が多く、かつ被爆地としての最優先事項であることを強調した。さらには戟争及び原爆被爆という2重の償いは、日本政府によって行われるべき事、また「核抑止論」は否定されるべきで、核兵器の製造は国際法上も不当であると訴えた。
石粟 勉所長
アジア太平洋地域における国連平和軍縮センターの諸活動の概要を説明すると共に、軍縮および核不拡散教育に関する研究成果の勧告内容が、徐々にではあるが実施に移されている事実を指摘した。この中には日本やインドネシアが会議を主催したり、教科書作成等の教材開発支援を行ったり、軍縮教育研究を奨励していることも含まれている。また2005年には国連総会において18本もの軍縮決議がまとめられた。出席した国毎に投票行動のモニタリングまで要請されたものである。同氏は、日本がそのうちの10本に賛成した事の経緯を伝え、一方では平和推進活動に熱心な世界の政治指導者、或いは以前にチャンスを失したもののマイケル・ダグラスのような俳優を広島や長崎に来るよう呼びかけてはどうかと提案した。
草野 十四朗 活水高校教諭
同氏が長年勤務する高校における平和教育活動について、その実践事例を紹介した。メディア社会の到来の中であらゆる暴力文化が力を持つ昨今に、学校は最後の砦となりつつある。社会科の授業に被爆者を講師に招いたり、国語教科目で原爆文学書を題材とする。また、講話や取り組んだ内容を外国人との対話促進のために英訳する事を支援した。また一方では学校外との連携で「高校生一万人署名運動」や平和宣言文の起草に加わり、さらには長崎市平和推進室の事業活動に対する支援、青少年フォーラムの開催や平和ミュージアム活動といったボランティア活動を展開していることが紹介された。
平和教育の前提を改めて問い直すことに関しては、OECDが行った15才児を対象とする世界的学習力調査(PISA)が日本の教育界では「総合学習の見直し」という的はずれな対処に向かっていると考えられ、高校平和教育は実践の場を失っている。こうした事実から改めて「学習資源の充実」および「カリキュラムの創造」という点から取組みが開始されたことを説明した。
伊藤 和吉 長崎シーボルト大学生
長崎に生まれ育った生活史の中で、自らの平和教育との関わりについて述べた。即ち、小学生から中学生時代に至るまで核兵器の事は教えられてきたけれども、仲間同士で実際に興味を示す事はなかった。高校時代に平和集会の開催支援に携わったことがきっかけで興味を抱き、大学生となって平和サークルを創設した。現在36名の部貞が活躍している。会員は普段より募金活動や映画上映会、遺構視察あるいは今回のような「国際会議」の下働きに参画している。
仲間と共に長続きする平和教育を行える方法の開発に努めており、このことが大学の多くの学生に刺激を与えることにつながっていると信じている。平和な日本で唐突に黒こげの死体を見せるだけでは、『もう見たくない』と拒否反応を招く恐れもある。そうした感情も大切にして常に「なぜ平和学習をするのか」と自らに問いかけ、また教師と生徒が一緒に模索しつつ進める事の重要性、また自分への回答を見つけることを積極的に進めるか否かが将来に向けての試金石となると言う。
キャサリーン・サリバン 軍縮教育活動家
彼女は、自らが関わって来た写真を見せつつ、会場の参加者と相互にやり取りのある効果的なプレゼンテーションを行った。bee
beeと呼ぶプラスチック製の玉が金属板に落ちる音の違いで、長崎原爆の時代と現存する核兵器の量の違いを目を閉じて聴かせた。参加者の数名からその印象を返事として引き出した。「知識を与えるだけでなく、感覚や感情に訴えることが大切」という主張からである。被爆者である一人の女性は、この音を聴いた時の感想として他者には判り難い苦しみの極みを表現した。こうした実験は、個人として核戦争をどう認識するかについて受容感覚や感性を共有する機会の重要性を強調的に示した。サリバン専門家は現在、
@国連のサイバー・スクール、
A全面的核実験禁止条約、
B核兵器およびチェルノブイリ原発について国際赤十字博物館における写真等展示開催、といった事柄を現在準備中とのことである。米国においても特に同時多発テロ以降、政府の意見に反する取り組みは行い難くなっている。他方日本の場合は、国連に軍縮や核不拡散に関する教育に取り組むよう積極的に提案している。政府が国連に向かって言うだけでなく日本は現場でこそ学習実践するのだという気運を高めて欲しい、日本政府の内外対応の違いと学校現場やNGOの盛り上がりに欠ける点を指摘した。
参加者から寄せられた質問・コメント・提案 コーディネータを含む7人の発言の後に行われた対話および、予めいただいた質問紙に掲げられた内容は以下のとおり。
- 本フォーラムの第1回および第2回では、「平和文化」が分科会名に入っていた。「核」という「暴力文化」の対極にある平和文化の構築に向けた平和教育や学習という点では大切な分科名ではなかったか。
- 国連や外務省では「軍縮教育」や「核不拡散教育」でやり取りして明確だ。しかしお話や書類でその中味を伺うと国際会議や外交官の研修が実体であり、平和教育の一環という実態は皆無に近い。用語だけなら、被爆地からは「核廃絶教育」と言わせて欲しい。国や自治体の補助金により毎年日本で国連軍縮会議を開催することは税金の無駄使いである。国連職員のための会議で あって、市民やNGOのためには効果が極限されている。
- 公立学校の教員が平和教育を推進しようとすると「教育委員会」を通ずる地方自治体や中央政府担当省の否定的な圧力を感じてしまう。被爆地で行われる平和教育は、やはり原爆被爆を原点としてこそ意味がある。
- ニュージーランドや米国における通常的な学習(例えば学校教育の中で)はどのようなものか。その際、与える側の対応は?日本の現行教育の「迷い」をどう見られているのか。
- 長崎の大学生もストーン・ウオーク(戦争で犠牲になった無名市民のための象徴的な墓碑運び)やアニメ映画の英訳字幕版を語学のテキストに使うなど結構多様に平和学習が行われている。
- 修学旅行生として長崎にやって来る児童生徒に、被爆者の一人として平和学習の機会を提供している。その際、どうしても核兵器の威力を説明するだけでは物足りなさを感じるようになった。
a)核兵器と人類の共存が成り立たないこと、
b)日本が国家中心主義で、侵略した加害の歴史をも事実として伝えざるを得ない気持になる。
- 公立学校の教師が平和教育を進めていく際には随分と私学とは異なる困難を伴いながら行われいているのではないか。それにしても教育委員会や文科省を通ずる平和学習の用語に「軍縮教育」、「核不拡散教育」は 無いのが不思議だ。何処にも出現しない。
むしろ個人的にはユネスコを通じて接した言葉だ。日本の中央政府レベルで文科省と外務省のこうした点での擦り合わせは何も行われていないのではないか。外務省が国連や外国向けに説明している事と国内現場で行われている平和教育に大変な敵齢がある。この点で、海外から見れば誤解の対象となり戸惑いを生んでいるのではないか。
このことは、今回のスピーカーの発言(例えばサリバン専門家)にも伺え、かつ裏付けされている。
- 平和教育・学習を議論するには、長崎・広島の小中学校教師や教育委員会の有り様は致命的である。被爆実相の継承という観点からは、是非とも被爆者の証言を重視して欲しい。
- 教育基本法の改訂によって偏狭な愛国心が醸成されるのはまずい。社会的風潮からして、却って世界平和や核廃絶の方向から遠のいてしまうのではないか。むしろ、なぜ平和・軍縮の内容を社会科などの科目に組み込めないのか考えてみる必要がある。現状では国全体が、受験科目に入っているかどうか、或いは必修かどうかでマス・メディアに巻き込まれて自殺者まで出している状況である。
- 木村教授のお話の中にあった「終戦の詔書」の中に「国体を護持し得て」とある部分の 背景や根拠をもう少し詳しく知りたい。当時の為政者の考え方を知る上で極めて注目すべき事柄である。
- 平和教育の将来方向として、市民や子供世代より出来る日常的活動の事例にはどういうものが考えられるだろうか。ささやかなボランティア活動として過去一年、長崎市内は浦上川のゴミ拾いを行っている。こうした事も平和への取組みの一つと言えるだろうか。
- 長崎の小中学校には平和学習と登校日があるが、他県ではどうなっているだろうか? 限られた時間であっても平和学習に目を向けられる創意工夫はないものか。
- 福岡において、主として小学生対象に原爆証言を行っている。原爆実相の伝承が風化しつつあるのを痛切に感じる。一過性の平和教育であってはならない。平和活動自体をどう継続するかは、心許無い部分がある。
国が被爆者援護をしてきたからといって原爆投下は決して言葉や用語の巧みさで美化されてはならない。出来る限り多くの事実を後世に伝える事が使命である。
- そもそも被爆や平和の問題に対して無関心であることが、市民としての社会参加を妨げている。常に新たな動機付けの方法を工夫してゆかなければ平和教育は情熱をもって進められない。共同参画のための、常に新たな誘因が欲しい。
「まとめ」をアピールヘ ー平和教育分科会としての理解と提言−
- 被爆地の取り組みの中でNGO的特徴はこれまでの長崎に際立っている。しかも核兵器を巡る過去の経緯や現状についての検討を、未来に生かすという前向きの姿勢に当分科会は大きな使命を負ったものとの認識が高い。被爆61周年目の今年を再出発の年として、核兵器廃絶に向けた具体的な手投を、世界各国からの参加者と共に考えてみるという点からも新たなスタートを切った。被爆体験や平和 教育の問題を次世代に今後どう生かしてゆくかどうかが大きな課題である。
- 当分科会では、これまで2回の地球市民集会および「プレ集会」の成果や見直しを踏まえて、参加者主体の運営方法を採用した。具体的には一人でも多くの参加者に発言の機会を与えるように図らわれた。従って、コーディネータ「の溝田博士は、冒頭発言以外は司会進行役、サブ・コーディネーターのデュース博士は書記役を担った。登壇者7人と参加者が双方向の対話を行うことによって、多くのスピーカーから色々なアイディアや考え方を学んだ。即ち、より建設的な提案を含む国際社会での現状を知った。コーディネーターの反省としては、分科会の使命と掲げた3つの柱と各スピーカーの発言の趣旨の「順序並びに組み立て」に閲し、事前の擦り合わせを行っておく大切さを痛感した。
- サリバン専門家がいみじくも指摘しているように、日本は唯一の被爆国として国連機関を含む対外的な対応を積極的に「軍縮教育」あるいは「核不拡散教育」で宣伝している。しかし国内的には、学校を中心と’した公教育の場においては勿論、社会教育や市民の生涯学習の機会にも「平和教育・学習」レベルで疎んじられ実体が伴っていない。会場からの意見にもあったとおり、最大の理由は日本国内で、学校教育とくに公教育を担当する文部科学省と、国連を含む国際交渉担当の外務省との間で、こうした言葉使い、用語の使用すら情報交換や協議が成されていない実情のあることが課題だ。国際場裡で交わされている情報と本国の現場で行われている活動内容が全く異次元で 語られている事自体が先ずもって重要視すべきではなかろうか。
- 被爆実相の継承は古くて新しい、しかも高齢化等の簡単ではない悩ましさを伴う課題である。ただし現実には一般市民も青少年も、自らの生活や生き方にどの程度身近に感じるかどうかで平和学習に対する熱意や行動が決まる。だからこそ平和創生に向けて将来を担う人材としての若者には知識を与えるだけでは済まない。生理的感覚、感情、感性に訴えるアプローチが大切になってくる。とりわけ現代のようにマス・メディアに煽られ、政治問題の制約が多い平和教育の現場である。誤解を恐れずに言えば、事柄は「悲劇」の解放であっても、反応はヤル気の出る、楽しく感動を呼ぶ行動でなければならない。
- 平和教育・学習を将来日本の公教育における学科目にする提案は注目に値する。
そうでもしないと、進学競争や受験科目優先の流れに抗し切れない。そのためには、社会科や外国語科目等との、態様としては社会教育や生涯教育との連携で模範事例を積み重ねてゆく。とりわけ「平和教育・学習活動推進センター」(仮称)のような連携の拠点を設立し、平和教育のメッカとなるよう普段の努力を傾注する事で輝きが増す。
- 以上を踏まえ、次の一文をアピール文として挿入することを決めた。即ち、“平和教育および平和学習を推進するため、私達は「軍縮・不拡散教育に関する国連研究」の勧告を取り入れた公教育のシステムの確立を訴える。その場合、青少年、大学生、また政策の立案者など社会のさまざまな対象層に適合した多様な教育方法や内容を連携させながら活用する必要がある。”と。
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