分科会2 : 被爆の継承~ヒバクシャの想いに学び・伝える

第1部(シンポジウム)では、外国の平和活動家、ヒバクシャ、被爆二世・三世が被爆の継承の想いを語 り、会場と意見交換をおこないます。 第2部(被爆継承サロン)では、継承活動をしている小規模団体、個 人が活動紹介の展示スペースを設け、第1部では語れなかった想いを少人数で語り合います。

コーディネーター:

升本 由美子(福祉生活共同組合いきいきコープ理事長)
吉田 睦子(公財:長崎平和推進協会 国際交流副会長)
パネリスト
スーザン・サザード
アメリカ:作家・長崎平和特派員
キャサリン・サリバン
アメリカ:Hibakusha Stories ディレクター、 国連軍縮部軍縮教育アドバイザー、長崎平和特派員
門 隆 日本:被爆者
山西 咲和 日本:被爆三世

分科会2 :第1部

分科会2 :第2部

第1部 シンポジウム
 最初に、第2分科会の開催趣旨を説明しました。(以下)
 73年前、歴史上初めて使用された原子爆弾で、心と身体に言葉では言い尽くせない被害を受け た被爆者は、2度とこの非人道的な核兵器が使われることのないようにと、報復ではなく寛容の 心で心身ともにつらく苦しい被爆体験を長きにわたり語り続けてこられた。
 73年もの間、戦争のない国日本の平和が守られ、世界で核兵器が使用されなかったのは、被爆 者自身が被爆体験の継承に心血を注がれた努力の賜物であることを、皆さんと確認したい。
 昨年、「核兵器禁止条約」が国連で採択され、「ICAN」がノーベル平和賞を受賞したことは、 被爆者が身をもって示してくれた「継続は力なり」のお手本となるものです。
 これからの課題は、「核兵器禁止条約」が一日も早く発効するよう働きかけを強めることです。  今日は、被爆者と被爆三世、そして海外からも2人のゲストの方にお越しいただいております。 この分科会では、その想いと行動に学び、皆様方が誰かに伝えるための気づきと学びの場になる ことを願っています。
 ここに集まった私たちに何ができるのか、知恵を寄せ合いたいと思います。
 今まで平和であることは当たり前、と思っていた人々が「平和は自分たちが守り育てるもの だ!」との意識を持ち、声を上げて行動に参加して下さるために、そんな継承のあり方を共有で きる場としていきましょう。
 全ての核兵器が地球上からなくなり、ここ長崎が最後の被爆地であり続けるために皆様の活発 な発言を期待いたします。
 被爆者の門隆さんは、自分の被爆体験を公の場で語るのは初めてです。
 門さんは、9歳のとき爆心地から3.5㎞の銅座町で被爆しました。当時父、母、二人の兄、姉、 門さんの6人家族で、兵隊だった一番上の兄を除き、5人は、全員被爆しました。爆心地から1.2 ㎞の兵器工場で被爆した父と、爆心地から600mの商業学校で被爆した兄は亡くなりました。門 さん自身は母親と二人で兄を捜しに出かけたときに、一変した被爆後の長崎の街、無数の黒焦げ の死体を目のあたりにしました。目と鼻と口を残して全身を繃帯でまかれた父親の苦しむ姿、大 やけどをして「水を、水を」と頼みながら亡くなった兄の最期の姿が、門さんの忘れられない少 年時代の思い出です。
 門さんは、「今からでも遅くない」と思い立ち、悲惨な被爆体験を後世に伝える決意をされました。 被爆三世の山西咲和さんは、自らが高校生平和大使になった経緯と現在の想いを話してくれました。  この6月に始めて聞いた自分の祖母の被爆体験は、想像できない衝撃的なものでした。「二度 と祖母のような悲しい思いをする人を出してはならない」という想いが強くなり、祖母の被爆体 験を話すようになりました。
 そして山西さんは、「平和は、誰かが作ってくれるものではなく、自分たちで作るものです。 関心をもって平和を考えれば、見えるものが変わってくる。自分にできることを探してみません か。」と呼びかけました。
 「Nagasaki: Life After Nuclear War」の執筆者であるアメリカ人のスーザン・サザードさんは、 「核兵器のない世界を目指すために、被爆体験を社会の記憶に残し、意識を高めることが必須だ。」 と語りました。この本を読み、又は講演を聞いた人たちの反応を見て、サザードさんは、「まだ まだやらねばならないことが、山ほどある」と感じたそうです。 「核兵器は安全のためには、必須のものだ。」と信じている人の心を、どうやれば変えさせられるのか。  そこで、被爆体験を用いることにしました。被爆体験の力強さと分りやすさにより、原爆は抽 象的なものではなくなり、時間と文化の壁を越えて聞く人の心に入りこみ、聞く人は被爆者との 人間的なつながりを感じるようになります。時間はかかりますが、ひとたび被爆体験を聞けば、 忘れることはないでしょう。
 まず、異なった考えに耳を傾け、お互いの見方や価値観を互いに理解するよう訓練します。次 に順を追って、「核兵器による抑止」が倫理的道徳的に重大な欠陥があることを考えるように導 きます。そして結局、「核兵器による抑止」が無意味だと分かってもらいます。  全ての被爆者と世界の平和活動家が連帯して「ここ長崎を最後の被爆地に!」としなければな らないと、サザードさんは訴えました。  アメリカ人のキャサリン・サリバンさんは、被爆の伝承を様々なアート形式を用いて若い人た ちに働きかけました。
 その形式として、フィルハーモニーコンサート、被爆者合唱団「ひまわり」のコンサート、丸 木位里・丸木俊夫妻の原爆絵画パネルの展示、またその前でのダンスのパフォーマンス、7日間 にわたる軍縮教育プログラムを実施してニューヨーク市の何百人もの学生に参加してもらい、パ イオニア・ワークスでは広島・長崎の原爆で被爆した資料を展示するなど、数々のワークショッ プを開いてきました。
 学生たちの反応は大きなものでした。また映画の製作、写真、サザードさんの本を紹介するな ど、他の核兵器の廃絶に関する運動から力をいただいています。  軍縮活動を他の人びと、愛するものと結びつけることで、1945年の経験から、そうしたものを なくしてしまう恐れがあるということを感じてもらう。これらの運動が、美しい未来を次世代に 残すことに繋がると語っています。
 以上、被爆者・被爆三世・海外の平和活動家が、「被爆の継承」への想いを語り、発表者と会 場の参加者と意見交換を行いました。
第2部 被爆継承サロン
 会場を平和学習室に移して、被爆継承サロンが「クスノキの下で」の吉田明子さんの「紙芝居 with音楽の発表」から始まりました。
 その後、「堂畝紘子」「食で伝えるピースねっと」「夢限隊」「原水爆禁止網の目平和行進実行委 員会」「山里中学校」「『平和の旅へ』合唱団」「立ち上がる祖母たち」の合計8の被爆継承団体・ 個人が、次々にそれぞれの活動を発表されました。  発表が終わると、夢限隊の紙芝居発表も行われ、別の団体・個人と相互に意見交換や情報交換 も行われていました。
 会場の平和学習室は、第1部のシンポジウムからの参加者を含め多くの方々であふれ、楽しい 交流となりました。
 分科会2の被爆継承分科会(第1部、第2部)では、手探りでの試みでしたが、地球市民の方々 が「被爆継承のために自分たちでも何かができる」と考えていただき、核兵器の廃絶が身近な問 題として、次の行動に繋げるきっかけづくりになれば、幸いです。