開 会 集 会
2018年11月16日(金)
13:00 | 開会宣言 |
高校生平和大使 |
開会あいさつ | 長崎市長 田上 富久 | |
歓迎あいさつ | 長崎県知事 中村 法道 | |
来賓あいさつ | 外務省 | |
NGO代表あいさつ | 西部諸州法律財団事務局長 ジャクリーン・カバッソー | |
祈りの時間 | 長崎県宗教者懇話会 | |
13:40 | 基調報告 | 実行委員会委員長 朝長 万左男 |
基調講演 | 大阪女学院大学教授 黒潭 満 | |
演奏 | 石川 鮎美(ピアノ)・永留結花(フルート) | |
14:30 | 被爆者の訴え | 築城 昭平 |
歌唱 | 被爆者歌う会「ひまわり」 | |
14:50 | 閉会 |
開 会 宣 言
活水高校3年(高校生平和大使) 中 村 涼 香
皆さん、こんにちは。私は高校生平和大使として活動している、活水高校3年の中村涼香です。私たち高校生平和大使、高校生1万人署名活動実行委員会は「ビリョクだけどムリョクじゃない」というスローガンを胸に、日々活動しております。今年で21代目を迎えた高校生平和大使は、毎年、集めた署名をスイスのジュネーブにある国連欧州本部へと届けており、その署名の総数は178万筆を超えています。さらに、韓国やフィリピン、ノルウェーなど世界各地を訪問して、核兵器廃絶の訴えを世界に広げています。
今年はノーベル平和賞の候補にも正式にノミネートされたこともあり、私たちの活動の認知度、そして私たちの声の影響力は一段と高まったように思います。私たちは唯一の戦争被爆国である日本の若者として、またその市民の一人として、被爆者、戦争体験者の方々から平和のバトンを
しっかりと受け継ぎ、核兵器のない平和な世界を本当に実現するために一生懸命活動しております。C
しかし、被爆から73年がたった現在も、1万5000発の核兵器が存在し、世界的にも核兵器廃絶の動きがなかなか進まない危険な状況にあります。まさに、人類の終わりか、核兵器の終わりかを選択する岐路に私たちは立たされているのです。
長崎と広島の悲惨な出来事を二度と繰り返さないために、私たちは今こそ、もう一度声を大にして核兵器廃絶が唯一の道であることを、ここ長崎から世界に発信していかなければなりません。
もちろん、私たち若者も最後の核兵器がなくなるまで、「ビリョクだけどムリョクじゃない」ということを信じて、声を上げ続けていきたいと思います。
本集会は、去年の「核兵器禁止条約とICANノーベル平和賞受賞を力に」して、「核兵器のない世界をこの手に」という目標を掲げています。この崇高な目的のための第一歩が開始される集会となることを信じて、ここに「第6回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」の開会を宣言いた
します。
開 会 あ い さ つ
長崎市長 田 上 富 久
皆さま、こんにちは。「第6回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」に国内外からお越しの皆
さまに心から歓迎申し上げます。そして、今日のこの集会をご準備いただいた朝長先生はじめ、
全てのスタッフの皆さまにも心から感謝申し上げます
。
この地球市民集会も今回で6回目、5年ぶりの開催になります。そして、開催されているとき
の国際状況は毎回違います。今回の状況は、タイトルの中にあるように、核兵器禁止条約が国連
で採択されたという状況、そして核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が昨年12月にノーベル
平和賞を受賞したという状況、私たちが目指している方向と同じ方向に向かう動きがあります。
一方で、北朝鮮をめぐる核兵器開発の状況、この交渉がどう進むのか、イランとの核合意の状
況、あるいはアメリカの核兵器政策がどう進むのか、非常に心配な動きも数多く、同時に進行し
ています。川の流れに例えれば、私たちが目指している「核兵器のない世界」という大きな海に
たどり着こうとする、向かおうとする川上から川下へ流れる動きと同時に、それに逆らおうとす
る逆流も生じている状況です。
その中で私たち市民社会は、川の表面で起きている二つの動きをしっかりと見て、そして、川
上から川下に流れるように、この核兵器禁止条約が本当の意味で世界の規範、世界のルールになっ
ていくようにしていく、そのために何ができるのかを考える必要があります。
そしてもう一方で、この川の底流で流れる動きをつくっていくのも、市民社会の大きな役目だ
と思います。平和の文化をつくり、そして核兵器のない世界をつくろうという世界の世論をつくっ
ていくこと、これはとても大切なことです。この地球市民集会ナガサキはまさしく市民社会の声
を発信する場として生まれ、そして貢献してきました。
今回の大会も、皆さんと共に市民社会が思っていること、そして私たちは核兵器のない世界を
決して諦めない、必ず実現する、そういう思いを伝える場所にしたいと思います。
そして、その中でも一番難しい、世代を超えてその思いをつないでいくという大切なことに私たち
はしっかりと取り組んで、そしてそれを成し遂げようとしているということも伝えたいと思います。
今、ごあいさつしてくれたように、長崎でも広島でも、いえ、国を問わず世界中で若い人たちが
平和のために動きはじめてくれています。市民社会はそういう世代を超えた、決して諦めないした
たかな力を持っていることを示す、この地球市民集会をそういう場所にできればと思っています。
改めて、この地球市民集会を一番初めに生んでくれた伊藤前長崎市長、そして土山先生はじめ、
多くの皆さんのおかげで生まれたこの集会は第6回を迎えました。今回も実り多い集会となって、
そして、先ほど高校生のお話の中にあったように、「ビリョクだけどムリョクじゃない」という
ことを、若者だけではなく私たち市民社会全体が共有の合言葉にする、そういう集会にもできれ
ばと思います。
改めて、ご準備いただいた全ての皆さまに心から感謝申し上げ、そして今回の第6回の集会が
核兵器のない世界を目指す力をつくっていく大きな契機となることを心から祈念して、私からの
お礼と歓迎のごあいさつにさせていただきます。皆さん、よろしくお願いいたします。
歓迎あいさつ
長崎県知事 中 村 法 道
皆さま、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました、長崎県知事の中村法道でございます。本
日は「第6回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」の開催に当たり、ご参加いただきました全て
の関係の皆さま方に深く感謝を申し上げますとともに、遠路、国内外からご来県いただいた皆さ
ま方を心から歓迎申し上げます。また、ご列席の皆さま方には、かねてより核兵器の廃絶と世界
平和実現のために多大なるご尽力を頂いておりますことに心から敬意を表し、感謝申し上げる次
第でございます。
ご承知のとおり、1945年8月9日、ここ長崎の上空に投下された1個の原子爆弾は、一瞬にし
て長崎の街を破壊し、多くの尊い人命を奪い去りました。それから73年、長いようであっという
間の73年間であっただろうと思いますけれども、廃墟と化した長崎の街は、残された人々の懸命
な努力によって、今日では平和を願う美しい街に生まれ変わりました。
しかしながら、愛する家族を亡くされたご遺族の皆さま方の悲しみはいまだ癒されることなく、
そしてまた、数多くの皆さま方が原爆後障害で苦しんでおられるところであります。そうした中、
今年はアメリカやロシアで核兵器の役割を拡大しようとする動きが見られ、また昨年12月には、
アメリカで臨界前核実験が行われたということが判明いたしました。
そうした一方、朝鮮半島情勢については、南北首脳会談、米朝首脳会談が実施され、朝鮮半島
における完全な核兵器の廃絶に向けて取り組んでいくことが合意されるなど、核兵器廃絶に向け
た機運の高まりも見られるところであります。
今年8月9日、長崎の平和祈念式典に参列いただいたアントニオ・グテーレス国連事務総長は
「長崎を核兵器の惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう」と、世界に呼び掛
けられました。核兵器はいかなる理由があろうとも、決して使用が許されない兵器であります。
今日、被爆地は被爆者の高齢化に伴い、被爆体験の風化が進んでいくことを懸念しております。
私どもはこれからも世代を超えて被爆の実相をしっかりと語り継ぎ、より多くの皆さま方に被爆
地を訪問していただき、その実相を理解していただき、一日も早い核兵器のない世界の実現を目
指していかなければならないと考えております。長崎県民はこれからも「長崎を最後の被爆地に」
という切なる願いを込めて、原爆の悲惨さと核兵器の非人道性を世界の人々に伝え、核兵器のな
い世界の実現、世界の恒久平和の実現を目指して全力で取り組んでまいりたいと考えております。
どうかご参加の皆さま方におかれましては、ここ長崎から平和に向けた力強いメッセージを発信
していただきますよう、お願い申し上げる次第でございます。
また、長崎では昨日まで、外務省主催による「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」が開
催されました。一部の委員の皆さま方には本集会にもご参加いただいているということであり、
さらに議論が深まってまいりますことを強く期待しているところでございます。
結びになりますが、本日の集会のご成功とご列席の皆さま方のますますのご健勝、ご活躍を心
からお祈り申し上げ、私の歓迎とお礼のごあいさつとさせていただきます。本日から3日間、ど
うぞよろしくお願いいたします
来賓挨拶
外務大臣 河 野 太 郎 (外務省軍備管理軍縮課長 今西靖治 代読)
「第6回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」の開催に祝意を申し上げますとともに、今次集
会の開催に向けてご尽力されてきた実行委員会の皆さまを始め、関係者の方々に対し、心より敬
意を表します。73年前に原子爆弾が投下されたここ長崎の地で、長崎市民・県民の皆様の連帯の
下、核兵器のない平和な世界の実現を目指す会議が開催されることは、大変意義深いことです。
私自身、外務大臣就任後の昨年および本年の8月9日に、長崎平和祈念式典に出席させていた
だきました。そこで、世界で唯一の戦争被爆国として、被爆者の方々を始めとして、核兵器のな
い世界の実現を願う多くの方々の声を聞き、核兵器の廃絶に向け一層の努力をしなければならな
いとの思いを新たにいたしました。
昨今、核兵器のない世界を目指すアプローチには様々な立場があります。我が国は異なる立場
の国々の橋渡しを目指し、「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」を昨年立ち上げました。
広島と東京で開催された過去2回の会議では、核兵器国と非核兵器国双方の16名の有識者に活発
な議論を頂き、まさに異なる立場を収斂する取り組みの結果として、私自身が核軍縮の実質的な
進展に資する提言を受け取りました。
本年4月のNPT運用検討会議第2回準備委員会には、その提言を携えて私自身が出席し、国
際社会に広く紹介するとともに、具体的な行動を呼びかけました。そして、昨日までの2日間、
その賢人会議の第3回会合をここ長崎で開催し、安全保障と軍縮の関係に関する「困難な問題」
等について議論が行われました。賢人会議での議論の成果は、NPT運用検討プロセスの進展に
も寄与するものとなることを期待しています。我が国として、引き続き、このような具体的な核
軍縮を促進するための取り組みに積極的に貢献してまいります。
核軍縮を進めていくためには、政府だけではなく、NGOを始めとした市民社会の皆様の協力
が必要不可欠です。ここ長崎市においては、20年以上にわたり、世界に向けて核兵器廃絶のメッ
セージを発信し続けている「高校生平和大使」のような、若い世代による先駆的な取組が行われ
ています。軍縮・不拡散教育の分野においては、1983年以降、国連の軍縮フェローシップ・プロ
グラムの枠組みを通じ、累計で950名を超える世界各国の若手外交官を広島・長崎に招き、被爆
体験に基づいた核兵器の非人道性を伝えてきました。こうした世代と国境を越えて被爆の実相を
広めていくような取組を続けていきたいと考えております。
終わりに、今回の「第6回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」の成功をお祈りするとともに、
関係者の皆様による努力が実りあるものになることを心から祈念いたします。
平成30年11月16日 外務大臣 河野太郎
NGO代表あいさつ
西部諸州法律財団事務局長(米国) ジャクリーン・カバッソー
こんにちは。ありがとうございます。第6回地球市民集会の開会式に参加することは非常に光
栄です。私は6回全部に出席しています。また、皆さんの素晴らしい田上市長と、平和首長会議
のアメリカコーディネーターとして参加できることをうれしく思います。こちらに集まると、本
当に長崎の心を知ることができます。世界の人々は長崎、そして被爆者の方々のリーダーシップ
とインスピレーションを尊敬しています。
私は歴史的な謝罪ということを本当に深く信じています。第2次大戦後に生まれたアメリカの
市民として、アメリカ政府が広島と長崎への原爆投下を謝罪していないことを、非常に恥ずかし
く、また残念に思っています。これを持ち、残念ながら核の時代の扉が開かれてしまったわけで
すから。謝罪は、過ちを犯したことを認めることでもあります。そして広島と長崎の場合、それ
が落とされたということ、この過ちを認めることから始めなければいけないのです。あの恐ろし
い原爆投下は何をもってしても正当化することができません。当時の平岡敬広島市長が、1995年
ハーグの国際司法裁判所でおっしゃいました。「歴史はいつも戦争の勝者によって書かれる。広
島の恐ろしい大虐殺に関しても全く正当化できるとわれわれは語り伝えられてきた。その結果、
50年間もこの人類の将来に与えたこの影響と、真正面から向き合ってこなかった」。
しかしこのとき、アメリカの軍備担当のジョン・マクニールはこのように言っています。「私
たちは核の抑止をもって、50年間、何百万もの人を戦争の災禍から救ったと思う。そういう意味
でわれわれは核兵器をいつも毎日使い続けてきたのだ。つまり、核の抑止力を使うことによって
戦争を回避し、平和を守ったのだから」。このように今、世界が二つに分かれています。本当に今、
核武装が拡大化しようとしています。
そして1970年のNPT条約の中でも言われているとおり、できるだけ早期に、そして誠実な心
を持って核の廃絶の交渉をすべきであるという、その義務を、こうした核を持っている国々は無
視し、違反しているのです。
それから1982年の国連の軍縮特総で、また当時の荒木広島市長はおっしゃっています。「広島
は歴史の証人というだけではなく、広島は本当に将来の世代に対する終わることのない警告であ
る。広島を忘れてしまったらこの過ちはまた繰り返され、そして人類は終焉を迎えることになる
のは明らかである」。
そして長崎の本島等市長も、「長崎は永遠に、世界で核兵器を投下された最後の都市であるべ
きだ」とおっしゃっているのです。そのために市民社会が果たせる役割は大きいものです。広島
と長崎を忘れさせてはいけないのです。だからこそわれわれは今日ここに集っているのです。
まだ核に関しては、かつてないほどホットスポットがたくさんあります。そういう中で、朝鮮
半島に関しては新しい外交的な扉が開かれました。キャンドルライトレボリューション(ろうそ
くの火の革命)という運動が、韓国では文在寅大統領を選び出しました。そしてこれまでも朝鮮
半島の統一と正常化を呼び掛けてきました。それをもち、新しい外交の扉が開かれて、この地域
の緊張がやや緩和されようとしています。世界中の市民社会がキャンドルライトレボリューショ
ンからインスピレーションを受けるべきでもありましょう。
核兵器禁止条約の中では、核を使うという脅威で威嚇することも禁止されています。だからこ
そ、われわれは核の抑止力というイデオロギーも正当性を欠いたものとして主張し、烙印を押す
べきなのです。そして、まさにわれわれの仕事ははっきりとしているとも言えるでしょう。ボト
ムアップでやっていかなければいけないのです。核のない世界を達成するために、公平で平和な、
環境的にもやさしい持続可能な社会を達成するために、世論を動かすべきです。
私たちは本当に理性を欠いた、恐怖をベースにしたような核抑止力のイデオロギーではなく、
もっと理性にかなった、核兵器を使うことの恐怖を思い起こせるような運動を繰り広げていかな
ければなりません。つまり、そうすればまさに核の近代化をやめ、地球上からの廃絶を呼び掛け
るということで、これは劇的な軍備削減につながります。そうすれば今、切実に必要とされてい
る、普遍的な人間のニーズに対応するための巨大なリソースが使えるようになるのです。
基調報告
核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会 委員長 朝 長 万 左 男
「第6回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」にご参加の皆さまに、心より感謝申し上げます。
原稿にはありませんが、ここで特に言及したいのは、今回初めて海外から大学生の諸君が参加し
てくれているということです。アメリカから2名、マレーシアから5名、中国から5名、韓国か
ら5名です。
Please stand up, foreign students. 私たちのこの集会に参加していただき、本当にありがとう。
2013年の前回、第5回の集会以来、5年が経過しました。世界の核兵器廃絶の潮流は劇的な展
開を遂げ、核兵器の非人道性の議論が繰り広げられ、国際世論を喚起してまいりました。多国間
交渉の結果、この核兵器の非人道的脅威に立脚した核兵器禁止条約が、2017年7月7日、ついに
国連において採択されました。10月初め現在、69カ国が署名し、19カ国が批准するに至っていま
す。核禁止条約の早期の発効が心から待たれます。
さらに、これまで多大な貢献をしてきたICANに対して、昨年12月、ノーベル平和賞が授与され、
ヒバクシャと共にその一翼を担ってきた長崎市民は、大きな喜びと新たな勇気を与えられました。
しかしながら、核兵器保有国とその同盟国である日本やNATO諸国など、30カ国の国家集団が、
紛争の絶えない世界的安全保障の混迷を理由に、今なお核兵器による戦争抑止政策を継続し、禁
止条約交渉を拒絶し、署名もせず、禁止条約推進国側を圧迫さえしております。
このような二つの大きな流れは、核廃絶へのアプローチの分断の兆候を見せており、NPT条
約第6条にうたわれている「核なき世界の実現」という崇高な共通目標に関し、核軍縮の停滞を
招いており、被爆地長崎の市民は深刻な状況と捉えております。
今年に入り、日本が位置する北東アジアでは、核兵器をめぐる情勢に大きな変化が訪れていま
す。すなわち、朝鮮半島の平和構築と北朝鮮の非核化を目指す、南北朝鮮と米国と北朝鮮の間の
首脳による対話が連続して行われ、大きな転機が生じ、昨年来、この地域の核兵器の脅威を背に
した激烈な対立の構図は、一転して、平和と非核化の方向性に変わりつつあります。われわれは
この新しい情勢を歓迎し、期待を持って見守っております。対話から生まれる信頼醸成こそが、
核抑止依存策を克服する唯一の方策であると、私は信じています。
今回の「地球市民集会ナガサキ」のメインテーマは、核禁止条約の力とICANのノーベル平和
賞受賞に象徴される市民社会の力を発揮して、新たな方向性を模索するものであります。核問題
の研究者、核政策の専門家、NGOの代表、市民、長崎市民、学生さん、子どもたちが一堂に会して、
73年間、最後の被爆地であり続けている長崎が「核兵器は二度と使用できない兵器である」とい
う国際規範の象徴として、この分断を克服し、現在朝鮮半島において進みつつある対話と信頼醸
成による非核化がもたらされることによって、日本を含む北東アジアの非核化もまた現実の追求
すべき政策となる議論が進むことを心より願いたいと思います。
核兵器禁止条約の発効にはまだ一層の努力を要しますが、皆さまの3日間の議論によって、こ
れがNPT体制に対する強力な補完的条約として、新たな核なき世界を目指す国際規範となるこ
とがこの会議で確認されることを願って、基調報告を終わります。ご清聴ありがとうございます
基調講演
大阪女学院大学教授 黒 澤 満
ただ今ご紹介にあずかりました、大阪女学院大学の黒澤です。
(スライドはこちら)
# 1
長崎大学の顧問もしており、長崎にはしばしばお邪魔させていただいております。
本日はこのような重要な集会の基調講演者として指名されましたことは非常に大きな名誉なこ
とであり、大きな喜びであり、感謝申し上げます。まず、朝長万左男先生を委員長とする実行委
員会の皆さま方にお礼を申し上げますとともに、田上富久長崎市長および中村法道県知事にも心
からお礼を申し上げます。
# 2
本日の基調講演ですが、三つの大きな内容について話をします。まずは「核兵器をめぐる
現在の状況」。先ほどからあいさつでもいろいろありましたように、さまざまな問題が動いてい
るわけで、それについて触れます。2番目は「人道と安全保障」という問題を広く捉えてみて、
人道と安全保障をどう考えるかという話をします。3番目には「核廃絶への二つのアプローチ」、
今、核兵器禁止条約で言われているstigmatization、核に悪の焼き印を押すという意味と、それ
から非正当化するという二つのアプローチについて話をさせていただきます。この三つの大きな
中で三つずつ、全部で九つ話をしますので、整理しながら聞いてください。
# 3
まず「核兵器をめぐる現在の状況」、第1の大きな問題の中で、三つの問題の話をします。
最初は先ほどから出ている、またこの集会のサブテーマにもなっている「核兵器禁止条約の成立」。
これはどういう意味を持つのか。2番目に「北朝鮮の核問題」。そして3番目には、NPT条約か
らの脱退の話もありましたし、それを含む核兵器不拡散条約の50周年という、核軍縮全体の話を
させていただきます
。
# 4
まず1−1、これは先ほど言いましたように「核兵器禁止条約の成立」ですが、条約は
2017年7月7日に、国連総会で賛成122、反対1、棄権1で採択されました。そして同年9月20日に、
条約の署名のために開放されています。そして、10月6日にはICANがノーベル平和賞を受賞し
ています。このICANは条約のアイデアから条約採択まで積極的に活動したということで、ノー
ベル平和賞が授与されました。
私の最新の情報では、署名が69。間違っていたら言ってくださいね。批准が19という形で、徐々
に進展しているのですが、発効には50カ国の批准が必要であるということです。
この条約の成立は、核兵器廃絶に向けての非常に大きな前進だと私は理解しております。これ
は核兵器不拡散条約第6条の履行であって、高く評価すべきであると。だから、NGOはさらにこ
の条約の早期の発効に向けて、さまざまな側面から努力すべきであるというのが1−1の問題です。
# 5
1−2は「北朝鮮の核問題」で、これは分科会もありますけれども、今年に入って南北首
脳会談が3回開かれて、それで4月27日には「板門店宣言」が合意され、9月19日には「平壌共同宣言」が北朝鮮と韓国の首脳の間で合意されています。
また一方で、アメリカと北朝鮮との間で、6月12日にシンガポールで初めての首脳会談が開催され、
トランプ大統領と金正恩委員長の共同声明が出されております。この声明では、中心の合意は北朝
鮮への安全の保証の提供を行うと。それに対して朝鮮半島の非核化の決意を示し、完全な非核化を
するということで今のところ進んでおり、来年の初めに第2回目の首脳会談が予定されています。
今後の課題としては、この二つの問題、北朝鮮への安全の保証の提供、それと朝鮮半島の完全
な非核化をどう実施していくかということになるわけで、これからの交渉において、そして米朝
間の信頼関係を築きつつ、最終的な解決に至ることが期待されています。しかし、現実には、さ
まざまな困難や難問が存在しております。そういう意味で関係諸国の前向きな努力が必要ですし、
特にまたNGOもこの点についても、国際的にも、あるいは各国においても平和解決に努力すべ
きであると考えております。これが現在の核をめぐる第2の問題ですね。
# 6
第3の問題は「核不拡散条約の50周年」ということで、2020年に条約発効から50年になり
ます。そこで再検討会議も開かれます。核軍縮の現状は非常に厳しいものであって、実際には核
兵器保有国は核軍備競争を続けておりますし、核兵器は近代化しており、そして米ロ間ではINF
条約の違反が議論され、アメリカが条約から脱退する意思を表明しています。
もう一つの長期の課題としては、新START条約、これが延長するかどうか。そうでないと失
効してしまうということ。あるいは新たな削減交渉を始めるのかということで、米ロの首脳会談
が今度のG20で開かれることになっているので、そこで議論されることになると思います。
それで第2の問題は、核兵器禁止条約をめぐって条約支持国と条約反対国が鋭く対立し、分裂
状態が生じていることです。両者の間に懸け橋を築くことは、先ほどもありましたように日本
政府も賢人会議の開催などをしておりますが、これは必要不可欠でありまして、これをどう進め
ていくかというのは非常に重要な問題です。これに関してもNGOはいろいろな知恵を働かせて、
助けていくべきではないかと考えております。
最後に、2020年のNPT再検討会議の展望ですが、現在の状況が続くならば、私は、会議は失
敗に終わるだろうと思いますし、核軍縮に向けての新たな進展も望み得ないのではないかと考え
ております。ですから、ここでは特にINF条約の脱退をめぐるアメリカとロシアの間の交渉、あ
るいは和解、それから核兵器の役割の低減などの措置を核兵器国がどこまで取るかという形での
具体的な成果が必要とされております。
# 7
大きな2番目の問題に行きます。ここで「人道と安全保障」で、「人道」の後に「人類」と付
けているのですが、そういうことをお話ししながら、それぞれのアプローチはどういうものか、人道
的なアプローチと安全保障のアプローチはどう違うのか。それから2番目に、安全保障という概念は、
最近ずっと非常に広がってきているわけです。それがどういう形になるのかということです。
そこでセキュリティとヒューマニティを合体させて、「人類の安全保障」、Security of
Humanityというのが考えられるのかどうかという話をし、そして、こういう「人類の安全保障」
というところを基本的な考えに取り入れるべきだという提案をさせていただきます。
# 8
まず2−1ですが、「人道的アプローチと安全保障アプローチ」、これは伝統的にずっとあっ
て、そこでまず人道的アプローチは、核兵器の使用は壊滅的な影響を与える。だからそこを中心
に置いて、核兵器の廃絶を追求するもので、核兵器禁止条約はまさにその考え方ですよね。
それで2015年のNPT再検討会議で、159の国による共同声明が出され、この人道的なアプロー
チを支持しています。次に、安全保障と人道の両方の側面を考慮すべきだという考え方は、2015
開会集会年の再検討会議で、核の傘の下にある諸国により、26カ国共同声明として主張されています。日
本政府はこの両方に賛成しています。そういう状況で、さらにもう一つ、核兵器国の立場は、安
全保障が核軍縮の前提条件であるというもので、完全な安全保障アプローチです。伝統的な人道
的アプローチと安全保障アプローチは、こういう形でそれぞれの国が主張しているというのが、
1の問題であります。
# 9
2の問題は、安全保障の概念は最近国際政治において拡大しており、その場合にどう考え
ていくべきかという問題です。まず伝統的には、非常に狭い意味での安全保障は、国家の軍事的
な安全保障を意味してきました。ですから、国の安全を軍備によって守るという考え方です。し
かし、最近の動きでは、垂直的には国家というナショナルのレベルからインターナショナル、国
際的な安全保障、それがグローバルの安全保障という形で、上に広がっていっています。
そして、下には人間の安全保障という形で広がっていっています。それが垂直関係ですが、水
平的には、今までは軍事的な安全保障だったのだけれども、今では環境安全保障、エネルギー安
全保障、食糧安全保障、水安全保障、経済安全保障という形で、安全保障の概念が非常に拡大し
て用いられています。
これはどういうことかというと、国の軍事だけではなく、このような新しいさまざまな問題が、
国の軍事と同じぐらい重要なのだと。だから、昔は軍事がハイポリティクスといわれて、ローポ
リティクスもありますが、それも今は安全保障の概念で語られています。
#10
そういう傾向を踏まえ、第3に、ここで私はセキュリティとヒューマニティを引っ掛けた
形で「人間の安全保障」、それで新しい代替的な核軍縮の目的を設定したい。そして、人道的ア
プローチと安全保障アプローチを乗り越えて両者を合体させて、新たな目的は「人類の安全保障」
ですよね。これは日本語で聞いていると非常におかしいのだけれども、日本語では「人道」と「人
類」は異なる言葉なのです。
けれども、英語のhumanityという言葉は「人道」の意味と「人類」の意味、両方の意味を持っ
ているわけです。それで“Security of Humanity”というのは「人道的な安全保障」という意味に
なります。この概念は、その内容は非常に協力的なものであって、全ての人、人類全体を含んで、
人間の安全保障も重要なのだけれども、人間の安全保障は個々の人間をターゲットにしているわ
けです。けれども、核兵器が使われたら人類が滅びるかもしれないという、人類を単位として考
えるべきではないか。ちょうどこの会議が地球市民という集会であって、これは人類そのもので
ありますので、この会議のタイトルでも同じような考え方があると考えております。
#11
3番目に、核兵器の廃絶へのアプローチに関するもので、二つあると先ほど申し上げましたが、
一つは「核兵器に悪の烙印を押す」、stigmatizeするのですね。もう一つは「核兵器を非正当化する」、
delegitimize、この二つのアプローチはどういうものか、関係はどうかという話を順番にいたします。
#12
まず「核兵器に悪の烙印を押す」。これは人道的なアプローチで、それでオーストリアが行っ
た人道の制約、ご存じだと思いますが、そこでは核兵器に悪の烙印を押し、禁止し、撤廃すると
いう形で述べられております。
そしてまた、核兵器禁止条約がまさにこのアプローチを取っているわけであり、条約第1条で
は核兵器に関する活動が広く禁止されています。だから、これは核兵器の廃絶を直接規定するも
のではありませんけれども、核兵器は禁止すべきであるという法的規範の形成の大きな役割を果
たしております。
#13
それで、2番目の「核兵器を非正当化する」、delegitimizeするということですが、これも
核廃絶への人道的アプローチを基本というか、数年前に日本とオーストラリアが中心になって出
した、「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」の報告書は2009年に出された提案です。
そしてもう一つは、ジェームズ・マーティン不拡散研究所の2010年の報告書で提案されています。
内容は核兵器の役割の低下を進めることで、核兵器の削減、第一不使用、警戒態勢の低下あるい
は解除などの措置が主張されております。それから、核抑止論への批判、それから核兵器の持つ
正当性・価値・名声を減少させ剥奪するという内容の主張が、この非正当化の話になっております。
#14
3−3で、それではこの二つのアプローチがどのように関係するのか、お互いに対立する
のかという話です。比較検討してみると、両者の目的は核兵器の廃絶というところで、同一なの
です。しかし、両者のそれぞれの核廃絶の理由、その手段、その有効性、また安全保障への考え
方や核抑止に対する考えは異なります。
従って、両者のアプローチは具体的にはさまざま、異なる方法・手段を取るわけですが、目的
が同一であるという点から考えて、両者は対立的、あるいは相互排除するものと考えるのではな
くて、補完的なものと考えるべきです。ですから、この二つのアプローチを同時に追求すべきで
す。それぞれのアプローチがあるわけですが、他を排除するのではなくて、核兵器廃絶に向けて
さまざまなアプローチが並行して追求されるべきであると考えています。
#15
今の話の結論に入りますが、今の三つの大きな話で、核兵器をめぐる現在の状況は、核兵
器禁止条約の成立という非常に成果がある半面で、北朝鮮の核問題は進行中の重要な問題であり、
核軍縮の進展に関しては全く楽観できない状況です。そういう意味でぜひ議論していただいて、
NGOの一層の努力が必要であると思います。
そして2番目の核軍縮の推進に関しては、新たな概念として「人類の安全保障」という概念を基
礎に置いて、人道的アプローチを基礎として地球市民の安全保障を考えるべきであると考えます。
そして核兵器のアプローチとしては、核兵器に悪の烙印を押すアプローチと、核兵器を非正当化
するアプローチの両者を共に採用すべきで、両者の相乗的な効果を生み出すべきであろうと考えます。
ご清聴どうもありがとうございました。
被爆者の訴え
築 昭 平 黒 澤 満
私は被爆者の築城昭平です。18歳のときに被爆しましたので、現在91歳です。高齢化しており
ますが、まだまだ若い者には負けないつもりでおります。
いろいろなニュースが流れておりますが、そのニュースのたびに被爆者としていろいろ考える
ことがあります。今日はその考えたことを述べながら、被爆者の訴えをいたしたいと思います。
1945年8月9日午前11時2分、長崎市に原子爆弾が投下されたとき、私は爆心地から1.8kmの
ところにあった長崎師範学校の寮で睡眠中に被爆しました。私は当時18歳であり、師範学校の学
生でしたが、当時、学校での授業はなく、学徒動員として三菱兵器工場で兵器を造る作業に従事
しておりました。
この週は夜勤でしたので、昼間は学校の寮で睡眠をしていたのです。突然の被曝で全身出血し
て、体全体が血で真っ赤になりました。友人と共に寮から逃げ出して防空壕に行ったら、近所の
人が30人余り来ていました。その人たちは全員大火傷を負っており、それは言葉では言い表せな
いひどさです。顔はどれが目か鼻か口か耳か、何も分からない状態で、体の皮膚は垂れ下がり、
体全体が真っ黒だったり、茶色だったり、私のように真っ赤になっておったりして、まるで幽霊
になっておりました。
周りは変な臭いが立ち込め、音はなく、そこは世の終わりを思わせるものでした。恐らくこれ
らの人々の半数以上は、1週間もたたないうちに亡くなっていったと思います。残りの人々も、
私の知る限りでは戦後73年の間に、放射能の影響と思われる病気で亡くなり、今現在、その防空
壕にいた人々の中では私一人が生き残っているような状態です。
その後、私は家族によって助け出され、疎開先の自宅で放射能の影響と思われる病気と、やけ
どの治療で3カ月ほど病床に伏せて、何とか治ることができました。
投下されて私の体をやけどさせた爆弾が原子爆弾だと知ったのは、病床に伏せていたとき、弟
が、拾ったアメリカのビラを持ってきたときでした。被爆後1年ぐらいたったころ、いろいろな
ことを聞きました。一発で長崎全体が全滅したということ、爆心地から3kmも離れていた県庁
など、その一帯や市役所付近まで火災で焼けてしまったとか、1.8km離れた長崎駅付近までは全
滅状態になっていたこと、爆心地の松山町から1km以内の人々は瞬間的に真っ黒に焼け、死ん
でしまい、1.5kmぐらいまでの人は、やけどと爆風のために即死しました。
私が学校の寮やその付近で体験した、見た、そういうものよりもっともっとひどい状態であっ
たこと、戦争とはいえ、あまりにもひどい様子を知って、戦争、原子爆弾を否定する考えを強く
持つようになりました。戦後は核兵器・戦争に関する情報を敏感に受け取っていましたが、核兵
器保有国は次々と現れ、核実験も頻繁に実施され、同時に核兵器の性能も急速に発達していきま
した。
そんな中で、私は核兵器反対の気持ちを発表したり、抗議の座り込みをしたりしていました。
しかしながら核兵器の発達はとどまることを知らず、さらに核も拡散していきました。しかし同
時に人間性を無視した核兵器に対して、世界の多くの人々が憂慮し、核兵器反対運動が広がって
いくことに、非常に力強さを感じています。私が一貫して主張しているのは、核兵器即時全廃、
全面禁止です。世界の流れの中でいろいろな思いをしています。
1960年初めに核実験反対運動がありました。それは一定の功を奏して、大気圏核実験は禁止、
地下実験と移っていきましたが、やがて地下核実験も禁止になりました。一番大きかったのは、
1968年のNPT条約です。不平等ではありましたが、最初は私もこれを評価していました。もし
この条約がなかったら核拡散はとどまることもなく広がり、手が付けられなくなって、これまで
核戦争が起こる可能性は非常に大きかったと思います。
1995年、条約の期限が来て、改めて廃止か延長という議論がされましたが、私は延長を期待し
ていました。もっとも、これまでの不平等性を取り除いてということです。しかし、不平等性は
それまで続くことになりました。それでもNPT 6条の核兵器の減少や廃絶の方に進展すること
を、核保有国に期待していました。しかし5年毎のNPT再検討会議の中で、核保有国の良心に
望みをかけることは、あまりできないのではないかということを知りました。
アメリカは昨年12月、臨界前核実験を行い、さらにアメリカは今年、INF離脱を表明しました。
核兵器廃絶が大きく後退したことを感じ、この先どうなることかと感じております。心配して成
り行きを見守っていますが、再び冷戦状態に戻ったのではないかと感じています。それにしても、
核保有国は核抑止論に取りつかれて、NPTの精神を忠実に守ろうとしていない、そういう国が、
例えば北朝鮮に核廃絶を要求するのは、矛盾そのものだと思っております。
核抑止論についても、一応その効果を認めたいと思っています。73年間、米ロが直接正面に出
て戦争をしたり、第3次世界大戦が起こっていないのも、広島・長崎の被爆の状況を知っての核
不使用だったと思っております。しかし、核が存在していることは、最終的には核戦争が起こる
ことを意味しているのであり、核は国連で管理しておいて、どこの国でも核を所有しないように
して、最終的には核兵器を廃絶する。そうすると地球全体が非核地帯となって、初めて本当の平
和が訪れるのではないかと思っております。
その意味で昨年7月、122カ国の賛同を得て核兵器禁止条約が採択され、核兵器の開発から保有・
使用など、全面禁止をする画期的な内容で、私たち被爆者を非常に勇気付けました。ただ、批准
がいまだに十分に進んでいないのを少し心配しております。この条約は多くの非核保有国と非政
府組織NGOが推進したもので、核保有国任せでは核軍縮の進展は望めないという強い危機感か
ら、そういうことになったと聞いております。
核保有国やその同盟国は条約に真っ向から反対し、非保有国側と対立し、核の傘に依存する日
本政府も同調して、その会議にも参加することがなかったということは、私たち被爆者をどんな
に落胆させ、悲しませたことか。日本政府は本当にそのことを感じているのでしょうか。
今年6月に行われた米朝首脳会談は大いに評価し、明るいニュースと受け止めました。これに
よって北朝鮮をめぐる情勢が緊張緩和に向かい、非常に喜ばしいことと思っております。私は
1955年7月9日、ロンドンで発表されたアインシュタイン、ラッセル、湯川博士など、11人の最
も先進的な学者らによる、いわゆるラッセル=アインシュタイン宣言を時々読み返して思い出し
ております。その一文を紹介して私の思いを終わりたいと思います。
「・・・しかし最も権威ある人々は、一致して水素爆弾による戦争は、実際に人類に終末をも
たらす可能性が十分にあることを指摘している。・・・およそ将来の世界戦争においては、必ず
核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実
からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によって促進されないことを自覚し、
そのことを公然とみとめるよう勧告する」。
以上です。ありがとうございました。