2017年7月7日国連における交渉会議において、圧倒的多数で核兵器禁止条約が成立しました。1945年7月16日のアラモゴードにおけるプルトニウム原爆の人類史上初めての爆発実験に始まり、その後一ヶ月内に実戦において実施された広島、長崎への原爆投下から72年にして、人類は史上はじめて核兵器禁止条約の成立に成功しました。
核兵器国と、米国の拡大抑止に依存する日本などの同盟国のうちオランダ一カ国を除き全てが交渉会議をボイコットしたなかでの成立でした。これらの核依存国と核禁条約推進派の国々の間にはもはや対話は成立せず、3月の会議開始の日に米国の国連大使ヘイリー氏を中心にして核抑止政策を採る国々の代表約20名が交渉会議の議場近くで記者会見を行い、「向こうの会議場に集まっている国は、いったい世界の安全保障の現状がどうなっているのか判っているのか?」と険悪な表情で声明を読み上げていました。日本は高見澤将林軍縮大使が会議冒頭に出席したものの、日本の交渉会議不参加を伝え、その理由を縷々説明しました。
会議そのものは順調に進行し、3月の第1会期ではオープンな議論がなされ、6~7月の第2会期ではその直前に、第1会議の議論から纏められたホワイト議長案が提案され、前文各項から条文へと逐次の審議が継続されました。私はこの冒頭から長崎市を代表して出席し、審議を見守りました。
核兵器国とその同盟国約20カ国の代表席は空席で虫食い状態となった会議場はやはり異様であり、目立っていました。この条約の成立が、第二次大戦終了後からずっと国連の常任理事国でもある5核大国と米国の同盟国である日本、ドイツなどの大きな国々が会議をボイコットしている中で、もっぱら中小の国々が、緊張をはらみつつ会議をリードしている姿を見ると、核兵器なき世界を2010年のNPT再検討会議で約束した全NPT締約国が、ついに多数派と少数派に別れて対立したまま、この世紀の条約成立を迎えつつあることに悲痛な気持ちを抱きながら見守り続けてました。
第3日午後の2条(申告)~4条(核兵器の全面的除去)についての審議の後、NGO代表5名に与えられた3分ずつの意見表明を、長崎を代表してしんがりで行い、ヒバクシャのこれまでの苦難の道への条約前文の言及を感謝しつつ、72年後の今もなおヒバクシャが放射線後障害に苦しんでいることを、「60年後の今まで原爆が自分の体内で生き延びていたのですね」という、白血病の診断を受けたときの患者の悲痛の言葉を引用して伝え、この交渉会議でなんとしても核兵器国と日本のような核依存国に対しても加盟できる可能性を開くよう、条文における工夫をこらしていただきたいと要請しました。
できあがった禁止条約最終案はかなり包括的と言える内容になっています。使用と使用の威嚇の禁止がまず目に飛び込んできました。この条項からは核兵器国も日本もやはり加盟はとりあえず不可能になったと受け止めざるを得ません。
締約(を希望する)国は核兵器保有の現状を申告をして、実際の核兵器の廃棄と、検証付きかつ期限付きの行動計画案を提出して、第1回目の締約国会議までに全核兵器を廃棄するという条文を読むとやはり、核兵器国の加盟はさらに厳しいものとなったと思わざるを得ません。
使用の威嚇の禁止は日本に対しては傘政策の放棄を宣言して加盟を申請することを要求していることになると思います。核の傘政策の根源にある日米同盟の大きなパラダイムシフトなしには、日本の今後の禁止条約加盟の可能性はきわめて低いものとなるでしょう。
すでに別所国連大使は日本の加盟はないと記者発表で言明しています。別所大使とは2日目の夕方日本代表部で、長崎代表として田上富久市長の日本の交渉会議ボイコットに対する残念な気持ちをお伝えし、さらに今後の加盟についても是非検討を続けていただくよう要請しましたが、残念な結果となりました。
この会談で大使は日本政府の交渉会議欠席は苦渋の選択であったと言われたことが思い出されます。外務省内では交渉会議出席の線も検討されていたが、最終的には官邸側に押し切られたと言うことであるのでしょうか。
今後の「核兵器なき世界を」目指す核廃絶の行方はどうなるか?禁止条約推進国や市民社会のNGO代表の側が考える、国際規範として禁止条約が徐々に力を付けて行き、核依存国に対しても大きな影響与え、彼らの核軍縮への取り組みを真剣かつ迅速に促進させなければならない状況変化をもたらし、さらに条件が熟せば、その中から加盟国も出てくるという、いささか楽観的であるが、そのような展開にまずは期待したいと思います。
結果的には、核兵器国側の条約成立への妨害は目立ったものはありませんでした。ヘイリー米国国連大使の記者発表止まりでありました。
この事実は、何を物語るのか?唯一の核依存国のオランダの出席は、日本にとっても参考になる前向きの姿勢でありましたが、やはり最終的にはNATO加盟国の義務に反する条文があり、加盟不可能として唯一の反対票行使となりました。しかしオランダの行動は、一定の内容の核兵器禁止条約は必要であるとオランダが考えていたことを暗示していたとも思われる。
私自身、今回の核禁条約交渉会議を国連総会に提案した2016年のジュネーブにおける複数の準備会議(OEWG)会議にも出席して、なぜ日本が現時点で核禁条約に賛成できないのかという、当時の佐野軍縮大使の発言をたびたび聞かされた。その中で、核禁条約の必要性を認める発言が2度ほどあった。究極的な核廃絶の前には、当然ながら核禁条約の成立が必要という意味での発言であり、現時点の国際安全保障環境がその実現を許さないという趣旨でした。これが今回もニューヨクで日本代表によって繰り返されたと言えます。
今後の日本の核廃絶におけるこれまで取ってきたリーダーシップはどのような影響を受けるだろうか?かなりの信用失墜は免れないだろうと思います。核廃絶を目指すルートは、核禁条約に依拠する推進派の国際規範形成ルートと、核兵器国が繰り返して主張してきた、NPTを基本としつつステップ・バイ・ステップで国際安全保障を改善しつつ核軍縮を追究するルートに分裂していくのか?
NBT(Nuclear Ban Treaty)とNPTの二重構造が、最も好ましい場合は相互補完的にそれぞれの有効性が発揮されて、核兵器国側のステップが一段ずつ(それが何かは今は明示できないが)積み上げられて行くものと思考すれば、禁止条約に加盟できる条件が満たされていくプロセスに重なって来て、核兵器国から加盟国が出てくると考えることが、今回成立した条文から判断できるであるのでしょうか?これはかなり低い確率のように思えます。
2010年のNPT再検討会議における最も重要な国際コンセンサスである「核なき世界」の実現のためには、両派の対話と信頼の醸成に加え、オバマ大統領が広島演説で強調したように、人類の英知である「科学が創造した核兵器」を「これを廃棄するのもまた人類の英知」であるという実際の努力によって、これから証明して行かなければなりません。それには全ての国々が冷静に、かつ熟慮しながら、これから始まる核廃絶の第2ステージに移行して行かなければなりません。
核兵器爆発の人類的結末を熟知する日本の果たす役割も、この英知をあみ出すことによってなされなければなりません。
核禁条約交渉に参加しなかった日本政府のこれからの責任は重大です。さらに市民社会がこの核禁条約成立に果たした役割の大きかったことを振り返ると、この第2ステージにおいては、核兵器国への働きかけ、特にそれらの市民社会に対する直接的働きかけに焦点が絞られて行くべきであると強く思います。
朝長万左男(核廃絶地球市民長崎集会実行委員長)