分科会 3
分科会3 核兵器廃絶運動の継承と創造 〜戦後世代の新たな取り組み〜


コーディネーター 芝野 由和

コーディネーター 升本 由美子
 分科会1と2が政策提言的・理論的な分科会だとすれば、分科会3は、どのように、そうした運動への入口を探し、いろいろな「点」を作りあげ、それをつなげていくか、ということと、さらにそれと被爆者の体験を継承していくということを結びつける道すじについて、どういう可能性があるか、を考える場と位置付けました。
 パネリストの方々には、こうした点を踏まえてそれぞれの経験を紹介していただきました。


パネリスト 山川  剛
 山川剛さんと森瀧春子さんは長崎と広島の被爆世代の立場から、その体験をもとに、若い世代へ伝えたい思いを話されました。山川さんは長崎の被爆者で被爆教師として長年の教育を振り返って、これまで子どもたちに原爆の悲惨さばかりを伝えてきたのではないか、という反省に立って、平和に生きる未来に確信を持たせたいと「希望を語り、希望を学ぶ」教育を高校生に行なうに至ったことを話されました。


パネリスト 森瀧 春子
  森瀧さんの場合はヒロシマ・ナガサキの被害を原点にして、インド・パキスタンの核実験を機に両国の若者を広島に呼び、被爆の実相に触れてもらうことで、「核兵器は自国の安全にとって必要」という考え方から脱却させたという経験を通じ、平和教育の重要性を確信したこと、しかし、その一方で広島県における平和教育の危機とも言うべき状況も指摘されました。さらに「ヒロシマ・ナガサキ」と、同様に放射線被害を撒き散らす劣化ウラン弾によるイラクでの被害の実相を伝えてこれを禁止させる活動につなげた経験を紹介されました。


パネリスト 平野 伸人
  被爆二世の平野伸人さんは、高校生のとき幼馴染が白血病で亡くなったことから、被爆2世であることを自覚し、その後、被爆2世の援護活動から、市民平和大集会、在韓被爆者の救援連帯、そして高校生平和大使派遣、高校生一万人署名活動へのサポートを通じて、次の世代にバトンを渡す活動を紹介されました。


パネリスト 藤田 絵美
  さらに若い世代にあたる藤田絵美さんは、テレビ番組のレポーターの仕事として、被爆者から話を聞いて紙芝居をつくった活動を通じて、それまであまり熱心に平和の問題、被爆の問題にかかわってこなかった自分がそのなかで変わり、子どもたちに伝えていく手ごたえを感じ、継承の意味を実感していったことを紹介されました。そして、実際に紙芝居を実演し、参加者に感銘を与えました。


パネリスト バーバラストライブル
 高校を卒業したばかりでドイツから参加されたバーバラ・ストライブルさんは、あるとき同級生が、広島・長崎で何が起こったかを発表したのを聞いて、核兵器はなくさなければならない、と行動しはじめ、2005年に結成された核兵器禁止ヨーロッパ若者ネットワーク(BANg)に加わったこと、そのなかで、一人一人の思いを木のブロックに託して積み上げた9万に達する「国際法の防御の壁」を制作したり、「ファスレーン365」の行動に参加したりするなど、指導部や固定メンバーを置かないゆるやかなネットワークのなかで情報を交換しながら、創意あふれる活動を展開していることを紹介されました。
 その後の質疑討論では、山川さん、森瀧さんが言及した平和教育に関連して、広島での平和教育の危機的状況について質問があり、公立学校における平和教育の意義について意見が表明されました。また分科会には高校生も大勢参加し、フロアからは大学の枠を超えた東京の学生のグループ(セイピース・プロジェクト)の活動も紹介され、また平野さんからは、長崎の高校生が制作した被爆者の語りを映像で収録したDVDをバーバラさんに進呈するなど、ここでも「点」と「点」がつながるネット形成がありました。
 分科会をとおして、被爆者の世代の方々は、被爆体験も出発点としながらそこから広がる活動の展開(出口)があり、その後の世代からは、核兵器廃絶をめざす運動へのさまざまな入口があること、その「点」をつなげること(横の連帯と世代間連帯)でネットワークが張り巡らせうること、が確認できたと思います。もっと多面的な、若者任せにしない各世代の活動のありかたなどを考えたいと思いましたが、パネリストの人数と時間の関係で十分紹介できなかったとはいえ、そのヒントは得られたのではないかと思います。

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