基調講演
第3回核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ 開会集会

アクロニム軍縮外交研究所所長(イギリス)
基調講演: レベッカ・ジョンソン博士


 伊藤・長崎市長、そしてお集まりの皆さま
本日、お招きを受けて皆さまにお話をするのは非常に名誉なことです。私が初めて長崎で日本の皆さまの集会で講演を行ったのは1983年8月9日、パーシングと呼ばれる新世代の中距離核兵器、巡航ミサイル、およびSS20の欧州での配備に反対する英国の草の根運動、グリーナム・コモン・ウィメンズ・ピース・キャンプの代表として平和祈念式典に参加した時でした。
  その時以来、私は核不拡散条約の専門家として、また、2000年のNPT運用検討会議で核軍縮のための「13項目」に関する画期的な合意に至るために水先案内人の役割を果たした新アジェンダ連合のストラテジストとして、長崎で幾度か講演を行ってきました。

 近年NPT体制は、北朝鮮とイランの核開発計画に関する懸念の高まりを含め、厳しい圧力にさらされるようになってきました。このような危機 ― つい最近、北朝鮮は誇らしげに「核実験」を宣言しましたが ― はしばしば、核不拡散体制の失敗のせいとされます。確かにこうしたことはNPT体制の弱さのいくつかを例証してはいますが、このような展開は、国連安全保障理事会の常任理事国でもある最初の核武装国家5ヵ国が次々と政策の失敗や誤りを続けた結果である度合の方がずっと大きいのです。

核不拡散体制の衰退
 特に目立つのは、イランと北朝鮮に関する最近のこのような危機が、国際法と核不拡散体制の信頼性を危険なまでに失墜させてきたブッシュ政権のイデオロギー、傲慢さと誤りによって誘発され、煽られたことです。この危機を招いた要因には、核兵器保有国が冷戦終結時に核兵器の価値を引き下げ、廃絶するための現実的措置をとるのを拒否したことが含まれています。冷戦で膨れ上がった兵器庫が実質的に半減したのは事実ですが、政策決定者たちは新たな使命およびその新たな使命を果たすためのより使いやすい新種の核兵器を構想し続けました。きわめて重要なのは、彼らが核兵器は自分たちの安全保障にとって「不可欠である」と宣伝し続けたことでした。
  NPT体制を利用すれば、自らの所有する核兵器はいつまでも手放さずにいながら、核兵器をもたざる国を制止することができると考える者たちのせいで、冷戦の終結によって核の恐怖の時代の扉を閉ざすという機会は無駄に失われてしまいました。彼らはその間、自国の軍需産業を実に長期間にわたって栄えさせてきたソビエトの脅威に代わるべき、新たな敵を探したのです。
  9.11の同時多発テロが米国に、いやそれどころか、私たち全員にショックを与えたことは、誰の目にも明らかです。ただ、こうしたテロ攻撃は、恐ろしいものではありましたが、その後ブッシュ大統領によって十把一からげに「悪の枢軸」とされたイラクやイラン、北朝鮮とは何の関係もないものでした。愚かな政策は、しばしば自己達成的預言を生み出すものですが、悲しいことにこれぞまさしく、世間知らずでイデオロギーばかりを優先する米国と英国の指導者が行ったことです。彼らは、権力を振りかざして核兵器など持っていない国々への侵攻を開始し、その一方で、NPTの枠外で開発した核兵器保有をますます公然と明らかにするようになったインドやパキスタン、イスラエルなどといった国には甘い対応をしたことで、脆弱な体制と力のない指導者の誤解を招くこととなった不適切なメッセージのすべてを発信したのです。米国と英国は自らの権威を深刻なまでに弱体化させ、国連と法の原則の土台を蝕み、自らの傲慢さと片意地によって、かつてより多くの核保有志望国と、テロリズム新兵補充のための豊かな温床を生み出したのです。

人間の安全保障と市民の責任
 しかし、指導者たちによってこうした無益で恐ろしい過ちが犯されているにもかかわらず、世界中の人々はテロの犠牲者たちに対して同情を示すと同時に、イラクにはもはや存在しない大量破壊兵器を口実に戦争を始めるという米英の決定についての情報と調査に対しても賢明な判断力を示しました。
  核兵器に関しても、普通の人々は核保有国の指導者よりはるかに大きな賢明さを示しています。指導者たちは、核兵器が自らの安全保障にとっていかに不可欠なものであるかを宣伝しながら、さらなる核拡散を防止できるとでも考えているように思われます。普通の人々は、核拡散を防止する唯一の方法は、すべての人にとっての核兵器の価値を引き下げ、軍縮を追及することであるということに気付いています。
  指導者たちは、懸念の原因となる核開発プログラムを断念することを他国に強制、強要することができると考えているようです。普通の人々は、模範と効果的な外交を通じての説得の方がはるかに望ましい結果を生み出す可能性が高いことを理解しています。
  指導者たちは国家の安全保障についてくよくよと悩み続けていますが、普通の人々は、人間の安全保障の方により大きな関心を抱いています。核兵器はテロを抑止しないばかりか、地球温暖化や気候変動、貧困や宗教的不寛容など、21世紀において私たちが直面する安全保障上の真の課題に対処する上でも全く見当違いなものです。核兵器はこうした脅威を緩和することはできないのに、侵略国に圧力がかけられた場合、核兵器の存在は危険を大いに増幅させる可能性があるのです。
  にもかかわらず、指導者たちは誤れば誤るほど、民主的な政策に関するアドバイスや議論のための回路を無視したり、閉鎖したりしようとするものです。私たちは議論や検証、情報提供を継続し、選挙や道理に基づいた論議、証拠と理念などを通じて政府に影響を及ぼそうとし続ければなりませんが、その一方で責任ある市民として、役人や政府によって私たちの名のもとに犯されている犯罪や違法行為、ひどい愚かさに協力することを拒否する義務もあります。
  この義務 ― 私たち一人ひとりには人間として、良心とモラルという方位磁石があること ― は、ニュルンベルク裁判が遺した教訓でした。つまり私たちは、暴力と罪を眼にした時には、抵抗し、正々堂々と意見を述べるという、生まれ持った責任を譲り渡すことはできないのです。ですから私は今日、安全保障のアナリストと活動家の両方として、ここ長崎におります。
  私は、スコットランドのグラスゴーからほど近いファスレーン原子力潜水艦基地からここに直行してきました。この基地には英国のトライデント原潜が配備されており、トニー・ブレアが自分の言い分を通すなら、英国の次世代核兵器の母港となるでしょう。

英国にとっての選択:トライデントを更新するかNPTを強化するか
 市民団体は10月1日、トライデントの廃止プロセスを開始することを英国に呼びかけるため、ファスレーン海軍基地の入り口で1年間にわたる非暴力抗議行動に入りました。私は孫をもつような世代の人々、学生、教師、病院労働者、法律家、音楽家、学者、工場労働者や社会を代表するさまざまな人々と共に、この抗議に参加しています。
  核兵器が英国の検討事項に再び現れたのは北朝鮮の核実験のせいではなく、トニー・ブレア首相が、英国はトライデントがあまりにも旧式化する2020年代のある時点に備えて、その更新システムに関する決定を今行うべきだと宣言したためです。実際に選択の対象となるのは、英国はNPT上の義務を果たすべきか、それとも21世紀の後半まで英国の核兵器産業を維持するために新世代の核兵器の開発と配備に最大で760億ポンドを投入すべきか、ということです。
  2000年にNPT締約国間の総意によって採択された協定の一環として、核兵器を廃止するという「明確な約束」をしたにもかかわらず、英国は4隻の原潜に最高で200個の核弾頭を配備し続けています。潜水艦1隻に積まれている量は、長崎に投下された原爆約250個分に相当します。ソ連による核の脅威を抑止する目的で発注されたものですが、ソ連は1994年にトライデントが利用可能になる前に、すでに崩壊してしまっていました。では今、こうした核兵器は何のためにあるのでしょうか?核兵器の照準はどこに合わされているのでしょう?どのような状況のもとなら使われる可能性があるのでしょうか?
  今述べたのはもっともな問いですが、納得のいく答は得られていません。次世代核兵器の開発は、NPTによって英国の担う義務に明らかに反しており、英国および国際社会の安全保障上の利益とも両立し得ないものです。これは、世界中の普通の人々が核兵器の完全な廃絶のためにより効果的な圧力を行使することによってしか止めることができません。その第一歩として、私たちは現在核兵器を保有している国々に対し、既存の核兵器の更新または改良を意図するものであるか否かにかかわらず、新種の核兵器の開発または配備を行わないと明確かつ公的に約束することを要求して行かなければなりません。
北朝鮮が10月8日に核実験を実施したと発表した時、一部のアナリストは、これが核拡散の転機となり、北東アジアにおける地域的な核軍備競争と、国連のコフィ・アナン事務総長が2004年に警告した「核拡散の連鎖」につながるだろうと予測しました。しかしこれについては、別の見方をする、すなわち警鐘と見ることもできます。
  英国の核兵器は無意味であり、何ら安全保障や追加的な影響力を提供するものでありません。ただし、今すぐこれを放棄するよう英国を説得することができるならば、私たちには、世界をより大きな安全保障に向けることに関して影響力を持つチャンスがあります。一朝一夕にできるほど簡単なことではないでしょうが、責任ある核保有国が核兵器という高くつく危険を取り除き、核兵器を廃絶するために他の責任ある国々と前向きに協力することを決意するならば、世界が必要としている積極的な転換点になり得るのです。
  1999年の東京フォーラムでは、世界は「核拡散という確実な危険か、軍縮という課題のいずれかを選択」しなければならないことが予測されました。核兵器保有国の中では英国が、直接かつ実際的な点においてこの課題、すなわち「私たちは軍拡競争から抜け出すのか、それとも何十億ポンドもの資金を投下して新世代の、より使いやすい核兵器を建造するのか」という問いに直面する初の国になりました。
  核の垂直的拡散と水平的拡散を食い止めるチャンスを得たいなら、英国の決定がきわめて重要になります。核拡散の連鎖を断ち切るためには、その最も弱い部分に協調して圧力をかけることが必要です。トライデントの更新に関する英国の決定は、世界の核の連鎖において最も弱い環です。もし私たちが一国の核保有国に、真の軍縮へと向けたプロセスを始めさせることができれば、その影響力は広範に及ぶものになるでしょう。

二度と過ちを繰り返さない、という被爆者への約束
 日本は他のどの国よりも、核兵器の威力を理解しています。私たちは歴史上のどの時におけるよりも今、皆さまの助力を必要としています。日本の政府が北朝鮮の核開発計画を口実に使い日本の非核憲法を廃止する、あるいは弾道ミサイル防衛に関する共同研究を行ったり、宇宙を兵器化したりしようとする米国の動きに協力するのを阻止するために、私たちは皆さまを必要としているのです。
核兵器保有国には核兵器を廃絶する義務があること、また、日本国民は英国その他の核保有国がこうした法的な義務を履行するのを期待し、奨励していることを、日本がすべての外交フォーラムで明確にすることが必要です。トライデントは更新すべきではなく、スクラップにすべきであることをトニー・ブレアに伝えましょう。
  英国における核の連鎖を断ち切るための市民団体の行動を皆さまが直ちに支援し、広めてくださることが必要です。そうすればこのアピールは、他の国際活動家にも届くのです。被爆者に対する同情の言葉は、私たちが自らのいのちと行動によって、二度と核兵器の製造や利用を許さないと誓わない限り、虚しいものに過ぎません。

ファスレーン365 - スコットランドにおける市民の核兵器反対運動
 ファスレーン365は、ファスレーンにある英国唯一の原潜基地で1年間継続して行われる抗議行動に数千人の人々を集め、参加させることを目指す、草の根キャンペーンです。その目的は、トライデントへの反対および核兵器の保有を進めようとする取り組みの阻止に、より幅広く一般人の参画を得ることにあります。ファスレーン365では1980年代における巡航ミサイル撤廃運動の場合同様、核兵器の配備現場での粘り強い非暴力的な反対行動と、創造的な行動、情報や広範なネットワーキング、そしてあらゆるレベルにおける政治的圧力とを一体化させます。
  ファスレーン365は核基地の現状を目の当たりにして、その機能を妨害し、トライデントの配備を終結させることを要求するために、さまざまなグループを1度に2日間、同基地に集めます。すでに英国全土からやって来た50を上回る平和団体、正義の実現を呼びかける団体、環境団体などが最初の3ヵ月で音楽や演説会を行ったり、横断幕やペンキを使ってフェンスの様相を変えたりすることによって、妨害行動や目を引くデモを企画実行するよう取り組んでいます。すでに今月参加した人々は、参加によって勇気と力を得、現在は自分の町やコミュニティに戻り他の人々を動員したり、来年、ファスレーンにより多くの人々を連れて帰る時期を選んだりしています。
  たぶん来年の8月6日か9日、あるいはそれ以前にでも、日本の人々に率いられた特別ブロックの参加があれば素晴らしいことではないでしょうか。スコットランドは世界の中でも美しい所であり、ファスレーンはグラスゴーからわずか30マイルの距離にあって、ローモンド湖も近くです。もし皆さまのグループが主導して日本のブロックを組織化なさるなら、私たちはスコットランドおよび英国の他の活動家たちが皆さまと団結することをお約束できます。
  私は25年以上にわたって被爆者の話を聞き、彼らの強さや思いやり、決意に、自分の卑小さを身にしみて感じてきました。彼らが私たちに恐ろしい苦難について語るのは、私たちを悲しませたり私たちに罪悪感を与えたりするためではなく、二度と核兵器を使用してはならないことを私たちが理解できるようにするためなのです。また、核兵器を再び使用することを阻止するための唯一の方法は、核兵器を非合法化し、完全に撤廃することです。核の連鎖の最も弱い環、すなわち英国から始めて、この連鎖を断ち切りましょう。私たちは原爆によって亡くなった方々の思い出に対して、そして原爆を生き延びた方々の勇敢さに対して、核拡散を食い止め、核兵器を廃絶するため私たちのできるすべてのことを行わなければならない恩義があるのです。

長崎に来る度に、私は一本足鳥居の近くにある神社の入り口に育っている不屈のユーカリの木を訪ねます。そして爆心地近くの浦上川で水を汲みます。今回はその水を持ち帰り、ファスレーンの入り口に注ぐつもりです。これから1年の間に、皆さまが私たちの運動に加わってくださるという約束も、持ち帰りたいものだと思っています。

 

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