基 調 講 演

 私はこれまで長崎を訪れたことがありませんでしたが、怒りに駆られて無防備な市民に対して原爆が投下された2都市のひとつここ長崎に来て感極まっております。ニューヨークとジュネーブで開催されたNPT会議で私は数回にわたり被爆者代表の方々や被爆者団体と会談しましたが、それは忘れられない経験となりました。しかし、ここにやって来てやっと私がしようとしていることが何なのかをさらに深く理解できる気がしますので、今回ご招待いただきましたことに深く感謝する次第です。
 今回の会議の議題は焦点が絞りこまれ、よく練られています。全体会議も分科会も私達がじっくり考えるべき重大なテーマを扱っています。非常に難しいテーマに取り組む際には必要なことなのですが、パネリストの皆様は私達が活発な意見交換ができるよう、またさまざまな考え方ができるようにして下さることと思います。ここでいくつかのテーマについてやむを得ず手短に触れておきたいと思います。
 まずは極めて近い将来に私達が取り組むことになる課題からお話しして視点を拡げていきたいと思います。現在最も差し迫っている課題は、これから3ヶ月を待たずして始まるNPT 再検討会議です。
 私がこう申し上げるのも、今でもすでに多くの人々がこの再検討会議に対してあまりにも楽観的な期待を抱いているのではないかと懸念しているからです。半年を待たずして、ひどい失望に対処しなければならなくなるかもしれません。もしそうなったら、その失望にうまく対処し、結果重視の姿勢をとりつつ再び楽観的に将来を見据えることが必要です。
 核兵器という発明品はそれを作り出した当事者である人類を即座に滅亡させることができる唯一のものです。ですから各国政府がこれを管理する手段を作ったのです。こうした手段の中でも圧倒的に重要なものがNPTです。これでNPTが常に危機的状況にあるという見方をされがちな理由を大方説明できます。その見方はある程度正しいかもしれませんが、この条約は発効から何十年と経った今も持ちこたえ、過去に時折予想されたように崩壊してしまうことはありませんでした。
 2000年のNPT再検討会議に締約国はあまり期待することなく参加しました。それというのもその頃米国上院で包括的核実験禁止条約(CTBT)への批准が否決されたばかりであり、米露間の弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)をめぐる論争もあり、さらに1998年には南アジアにおいて核実験が実施されたからでもあります。しかし、意外にもこの再検討会議で核軍縮に向けた13項目にわたる現実的な措置を含む合意文書が作成されました。この成功は束の間のものに終わってしまいましたが、そこでの合意は依然として有効です。ただ合意事項はまだ履行されてはいません。
 2005年のNPT再検討会議に対しても米国の一国主義やイランの核開発計画をめぐる論争、それに2000年の再検討会議の合意からの離脱によって期待度は低かったのですが、またしても会議の結果は意外なものでした。2005年は予想されたよりもひどい結果だったのです。各国政府のやる気のなさと破壊主義的な外交は大方の懸念をさらに超えるレベルでした。
 NPT締約国として私達は、そうしたことも受け入れられるようになってきました。皮肉な物の見方があふれていますが、それと同時に特にワシントンの政権交代以降は希望が大きくなってきています。この希望は4名の政治家が執筆したウォールストリート・ジャーナルの記事によってすでに呼び覚まされていたものです。そして今から10ヶ月前にオバマ大統領によるプラハでのあの演説によって、新たに具体的で現実的な希望が与えられたのです。そのようなわけで、もう一度失敗したらそれはNPTの終焉を意味するのだと何度も言いながらも、今度のNPT再検討を非常に重要視しています。今こそ流れを変えてNPTを履行すべき時だと言われています。
 これも私達がこの条約から多くのものを得たいと考えているからです。それは全く無理からぬことでしょう。しかし、実際のところ、再検討会議の成功や失敗を測ることができる基準というものはありません。それにコンセンサスによる合意というものにどのような価値があるのかさえわかりません。1995年と2000年の会議で作成された2つの重要文書には、コンセンサスによって決定された多くの重要な評価基準や取り決めが記載されていますが、その取り決めは実現されなかったり反故にされたりしたままになっています。
 従って、ほとんどの国の政府が気に入らない合意文書を採択することが良いことなのかどうかわかりません。代表団や団体は望むものを得られない会議に押しかけた方が良いのでしょうか、それとも押しかけない方が良いのでしょうか。実利的で実際的な妥協案よりも、会議が失敗に終わって何の合意がなされていなくても、信念や根拠のある姿勢を貫く方が長期的に見て良いことなのでしょうか。それはだれにもわかりません。またこれらの妥協案が守られるのかどうかすらわからないのです。
 ですから今年の5月の会議について成功への期待が高いことを耳にすると、それは長年にわたる失望感から判断基準がとても低く設定されている背景がある場合が多いのです。それは出発点としては良いのかもしれません。一方、会議が失敗に終わった場合、ひどい影響があるでしょうか。私の答えとしてはこうです。恐らく短期的にはひどい影響はありませんが、長期的にはあるでしょう。少なくとも、NPTの再検討における失敗によって、軍縮だけでなく皆さんもご存知の最も差し迫っている2つの不拡散問題への対応を含む核体制に対する多国間の取り組みの実施がさらに難しくなるでしょう。
 こうした不確定要素をすべて考慮すると、締約国はしばらくの間は受け入れられると思える結果を収める必要があると私は思います。 またそうした結果は締約国の意思を概ね反映していると見なされることが必要であり、2000年の再検討会議後のようにすぐに無視されたり解釈し直されたりしないことが必要です。
 どのようにしたらそれが可能でしょうか。それは方向転換という言葉で表せます。この方向転換とは、これまで通りの結果ではなく、実際にNPTを履行するための措置を整える役目を果たす結果を出すことを意味します。
 現在のところ今年の5月の合意がどのようなものになるのかはっきりとは言えません。ただこの条約の延長について妥協を許さない決断を必要とした1995年の会議とは状況が違います。あの時はそうした決断が必須だったからです。現在の状況は、むしろ分岐点に差しかかっていると言えるかもしれません。一方の道は夢遊病のように歩き続けて核の悪夢に陥ってしまうかもしれない道です。そしてその道を行けば、少なくとも今日よりさらに多くの核保有国が存在する世界につながります。もう一方の道は、核兵器の禁止に向けてゆっくりですが着実に向かう道です。
 必ずしも今年5月に行われる再検討会議でというわけではありませんが、かなり早いうちにこの2つの道のうちの1つが選択されることになります。ここで言っているのは何十年後ではなく、せいぜい数年後の話です。そしてこの両方の道を選ぶことはできません。選べるのは1つだけです。この選択が人類の未来をかなりの程度決めることになるかもしれません。
 方向転換とは言っても、今回の再検討では核兵器の禁止に向けた実際の交渉の開始といったような抜本的な変革について決定されることはほぼないということを私は十分認識しています。しかし、今回の再検討では、締約国がNPT維持のため十分に責任を負うことを示す必要があります。川口・エバンズ両元大臣が共同議長を務める核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)から、今回の合意の要素となりうるものがどんなものかについて大変賢明な説明をいただきました。
 私の考えでは、今回の合意には最低限必要な条件がいくつかあります。まず核保有5カ国がどのような多国間協議のプロセスに着手する用意があるのか明らかにする必要があります。1995年に核保有5カ国は核軍縮に向けた計画的かつ漸進的な取り組みに関して、また中東に関して誓約をした上で、待望のNPTの無期限延長という結果を得ました。その5年後、核実験禁止への動きは後退し、 NPTのその他の取り決めについてはほぼ何も進展はありませんでした。2000年には再び核保有5カ国が譲歩しました。それから10年後の今、核実験禁止や兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)については何の成果ももたらされていないのに対し、軍縮の進展についてはせいぜい議論の余地がある程度です。配備されている兵器の数は減少してきていますが、非核保有国にとってそれほど重要な意味をもたない規模の減少にとどまっています。
 核分裂性物質に関する交渉が開始されず、核実験禁止条約の発効について進展がない場合は、15年前に記された法的文書の中の政治的な取り決めを破り続けているのも同然です。因みにこの法的文書はNPTの無期限延長という大変な議論の的になる内容を含んでいたため、並外れて重要な文書でした。
 こうした背景を考えると、核実験をすることなく信頼性のある兵器を維持するという理由に基づいて、CTBTの批准を新たな弾頭や兵器生産施設に対する取り組みに結びつけるため米国内で積極的な働きかけが行われていることが非常に気がかりです。これは、価値あるものとして何十年もの間認められてきた1つの目標が別の目標、すなわち2000年に真摯な望みとして合意された核兵器の役割の低減という目標を反故にすることで達成される可能性があることを意味しています。また同様に気がかりなのは、ジュネーブ軍縮会議がその停滞状況から脱却できそうもないことです。
 NPTを維持するために1995年に核実験禁止やFMCTに関する取り決めが必要となったのと同様に、核不拡散およびNPTの維持による便益を得るために、せめて今条約やそれを補強する手段を通じた核兵器の禁止に向けた準備を始めることが必要です。核保有国が自ら最も重要な目標として設定した「もうこれ以上核兵器を保有する国を増やさない」という目標を達成しようとするなら、条約のための準備を始めることが必要です。なぜなら長期的にはそれがNPTの履行に向けた唯一の確かな方法だからです。また核保有国がNPTの恩恵を享受し続けようとするなら、具体的な措置を講じる必要があります。  1995年以来、中東の状況はNPT締約国に深刻な問題を呈しています。少し驚いたのですが、昨年の準備委員会で特別調整役、補助団体、今後の特別会議についての構想が策定されました。非核地帯の設置に向けた措置といったさらに意欲的な取り組みはもちろん現在のところまだ難しいですが、そこに至る中間段階の取り組みとしては、中東地域における核拡散関連の燃料サイクル活動の凍結というブリックス委員会の提案などの検討があります。
 しかしながら、今年5月のNPTの再検討に関しては、特に中東についての合意が得られなければ成功はないだろうということがはっきりしています。しかし、NPT 再検討会議が中東における大変な問題に対する解決策を見出す場にはならないことも明らかです。
 いわゆる「計画的かつ漸進的な取り組み」は2000年の会議で復活し、13項目の措置という重要な遺産をもたらしました。未知の要素がたくさんある中で今年5月にこれらの措置をどう扱うかというのが課題です。因みに未知の要素の中には、話が細部に及んだときにオバマ政権の実際の姿勢がどれくらい変わるのか、そしてロシア、フランス、中国がNPT第6条に関する新旧の勧告、ガイドライン、決定についてどの程度前言を翻すのかといったようなものがあります。
 もちろん13項目のうちの数項目は事情が変わってもはや適切さを欠いてしまっていますが、全体としてレベルが下がったり、破棄したりしてはいけません。一部を改めたり、新しいものと入れ替えたりするための確実な方法を見出す必要があります。 これは大半が 核保有国の判断にかかっています。もし核保有国自身が約束や取り決めの変更案を提示して、項目を現在でも適用できるものにし、測定可能な形で履行できるようにしなければ、自らが窮地に追い込まれることになるからです。
 また同様に重要で、1995年と2000年の再検討から見るとある意味で新しい点は、核兵器の「役割の低減」です。2000年に第9番目の措置項目の小項目の1つとして策定された「役割の低減」という表現は、どういうわけか小項目全てを包括する「国際的な安定」や「全ての国の安全が損なわれないこと」という表現によって明確さに欠けるものになってしまいました。今年の再検討会議では、核保有国が核兵器への依存度を下げるという意欲を示すわかりやすい表現が必要です。米国・オバマ政権の場合は今から約3週間後に予定されている「核態勢見直し」が明確な基準点となります。ですから核政策の中に対軍事基盤攻撃や対都市・産業基盤攻撃というひねくれた政策概念を含ませないことがとても重要なのです。
 こうしたこと全てに関して良い面はといえば、これまで私達が求めてきたものが今ここにあることです。それは米国のリーダーシップです。これを求め続けてきたのは、米国のリーダーシップのみが核兵器ゼロへの道を歩み始める環境を作り出すことができるということが大方の人にとって明らかだからでしょう。そしてオバマ大統領はそのことをはっきり表明しました。また大統領は、米国が核兵器を使用した唯一の国家として行動し、世界を導く道義的責任があることすら認めました。このすばらしい発言によって希望や期待が沸き起こっています。次の試金石はワシントンで発表される「核態勢見直し」です。今回の見直しとそれ以降の見直しでは、新たな状況を認識し、現状のリスクと核兵器ゼロへの道にまつわる問題点との間のバランスを新たに計算する必要があります。
 オバマ大統領のビジョンに対する米国内外の抵抗勢力は強力でかつ大変知的であろうということを私達は理解しておかなければなりません。そしてこうした抵抗勢力は惰性的で活動力が欠如しています。ですから市民・市民社会として、私達は自らの論理に磨きをかけ、活発な活動をしていく必要があります。
 私達が短期的に望むことは何でしょうか。私達には将来核兵器のない世界を築くために用いるブロックとなるいくつかの措置が必要です。この措置なくしては、このビジョンが達成可能とは思われないでしょうし、このビジョンなくしては、4名の政治家がウォールストリート・ジャーナルの記事の中ではっきりと述べたようにこうした措置が公正で急を要するものとは思われないでしょう。
 これらのブロックは何も新しいものではありません。その中でも明らかなものは、法的拘束力のある文書を伴い検証に裏打ちされた米露による保管兵器を含む兵器の大幅削減、交渉による核分裂性物質生産の停止、包括的核実験禁止条約の発効です。これらをコンセンサスによる措置と呼ぶことにしましょう。これらの措置については15年前にNPT締約国によって合意がなされているのですが、まだ実現はしていません。
 これらと同様他にも必要な措置がいくつかありますが、十分ではありませんし、まだ合意も得られていません。初めの3つの措置のように、これらの措置もMPIの報告書の中で分析され、「第6条フォーラム」で優先事項として確認されているものです。例を挙げると、消極的安全保障、燃料サイクルの多国間管理、核兵器の即時発射態勢解除、核兵器の先制不使用の誓約、そしてプロセスかつ条約としてのNPTのガバナンスの向上があります。ご存知のようにこれらの措置もすでに何十年間も存在しているもので、国連決議や「モデル核兵器禁止条約」の中やウォールストリート・ジャーナルの記事の中で提案されたり、13項目の措置として提案されたり、キャンベラ委員会、ブリックス委員会、ICNNDによって提案されたり、1年3ヶ月前には国連事務総長に、そしてプラハでオバマ大統領によって提案されたりもしていました。
 これらの提案が互いに類似しているのは、独創性に欠けているからではなく、核保有国と非核保有国との間の信頼の確保や交渉の復活のための自然な第一歩だからです。1つ注目に値するのは、国連の事務総長が5つの要点を提示して述べた一括提案は他のものとはいくらか異なっていたということです。事務総長は各国政府よりも踏み込んで、強力な検証体制に裏打ちされた核兵器禁止条約または複数の手段を連携させる枠組みを作る可能性を示しました。また事務総長は、こうした条約を少々理想主義的な構想の域から各国の安全保障を強化するための理にかなった手段の域にまで高めました。こうして核兵器禁止条約は、突如としてビジョンと措置の組み合わさったものを意味するようになりました。
 核兵器禁止条約に取り組むのは時期尚早と言われることが多いのですが、その際そうした取り組みをするのに機が熟したと判断する条件について言い添えられることは稀です。私は条約の準備や交渉までもがその他の対策の準備や交渉と平行して進められるし、その上その他の対策の準備や交渉を促進することもできると思います。このことをうまく言い表したのがICNNDです。ICNNDは「モデル核兵器禁止条約」の概念のさらなる改良・展開に着手して、条約の規定をできる限り実行可能かつ現実的にしようとするのに、今が早すぎることはないと言明しました。とりあえずは措置を取り決めて実施すべきなのです。
 各国が核兵器ゼロへの道についての検討を本気で始めようとしている中、大変な誤用や誤解が生じている抑止という概念は非常に重要なものです。このテーマについては明日の分科会にとっておくことにします。その代わりにここでは市民社会、NGO、市民の役割について簡単にお話したいと思います。核兵器問題に対して市民社会が影響力のある重要な役割を果たせるということは、何十年も前から証明されています。そのことが確認されたのが、昨年9月の核兵器に関する首脳会合に先立って、メキシコシティで開催された大規模なNGO会議です。その会議では安全保障理事会のメンバーに情報提供が行われました。事務総長もこの取り組みを認めており、各国の議会や政府も認めています。例えばスウェーデンの再検討会議の代表団には通常市民社会の代表が含まれています。
 1980年代などとは異なり核兵器が政治や倫理をめぐる論争の最前線に位置することがなくなってきたという事実を背景に、ここ何年間にもわたって多くの人々が失望感を抱いていました。しかし私はこの状況が変わりつつあると感じています。私は現在非常に活動的で広い見識をもつ市民社会を代表する人々が志を同じくする世界各国の政府や研究者と緊密な連携を取り、再び核兵器を世界的な議題のトップ付近に据えつつあるのを目の当たりにしているのです。
 今やおそらく市民やNGOが、これまでにないプロセス、すなわち市民社会がエネルギーを向けるべき新たな目的達成手段について、熟考しブレインストーミングを行うべき時がやってきたのだと思います。例えば、地雷やクラスター弾に関するプロセスの考え方を借用して、核軍縮に用い、事前協議で弾みをつけて、その後の政府間交渉を促すこともできるのではないでしょうか。これに対して当面の間は現実的になるべきだという反対の立場も理解できます。なぜなら私は外交官としてコントロール不可能なこと全てに対して懐疑的になるように訓練されたからです。しかしおそらく市民社会がこれについてじっくり考えることなく駄目だと却下すべきではないでしょう。
 私が議長を務めている中堅国家構想(MPI)は、各国政府やNGOに対してさまざまな役割を果たしている機関の1つです。MPIは核軍縮の分野で活動している世界的なNGO8団体の後援を受け、またそうした団体と連携しています。さらに大変公的な性格の強い役割も果たしていますが、MPI自身は舞台裏で外交官や各国政府と連携する機会が多いです。MPIは分析報告書や説明資料を発行し、 交渉担当者が自国の大臣からの正式な指示によって制限されることなくアイデアを模索したり、選択肢について討議したりできる非公開の討論会を設定しています。その他多くのNGOはMPIよりも目に触れる機会が多いですが、MPIのような目立たない取り組みもまた良いのではないかと確信しております。
 ここで非常に生産的なNGOの仕事の一例をご紹介したいと思います。「モデル核兵器禁止条約」に関するものです。MPIの後援組織3団体「核戦争防止国際医師会議」「 国際反核法律家協会」「拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク」が共同で「地球の生き残り」のために核兵器禁止条約で何が求められているかについてこれまで大変詳細な研究を行ってきました。この研究では条約の施行、国際的な安全保障体制、脱退問題、抑止、検証、核の知識と可逆性、経済的側面といった重要な問題を扱っています。
 交渉担当者や外交官は条約が緊急性の高い措置から焦点を奪うものだと考える場合が多いことを私は承知していますが、それは私自身もかつてそう思っていたからよくわかります。そのように考える理由は、条約の初めの一歩ですら何年にも及ぶ交渉が必要だからです。しかし、現在すでに核兵器禁止条約の草案には役割があります。この草案は重要問題に直接結びついており、各国政府が内容に合意した後の措置について私達が重点を置いて考えるのに役立ちます。私はMPIの協力団体による永続的な価値のある仕事に深く感謝しています。現在欠けているのは、各国政府が条約の追求を自らのプロジェクトとして取り組むことです。
 ここで私がはっきりさせておきたいのは、MPIが核兵器禁止条約やその他の核のジレンマの解決策について自らの立場を推し進めようとしているのではないということです。私達MPIは非核保有国が自らの立場を推し進めるための手助けをすることに専念しています。MPIは道を明るく照らすお手伝いをする単なる誘導役です。ですからもちろん各国政府は自らで道を歩まねばなりません。
 私達にはそれぞれ異なる役割がありますが、各国政府とNGOは共に今日ついに人類史上最大といえるかもしれないプロジェクト、すなわち核兵器廃絶 プロジェクトに着手できるのかもしれません。私は市民社会を政府・政治家と核のジレンマの中でしばしば忘れられている倫理的側面との間を結ぶホットラインと考えています。人類は自らが発明した自らを破滅させる手段を一掃するのに十分に道徳的に成熟しているはずです。核兵器の時代は人類の進化の中のほんのひとコマでなければならないのです。


中堅国家構想(MPI)議長(スウェーデン)ヘンリック・サランダー
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