分科会報告
分科会5:青少年フォーラム
核兵器廃絶に向けた若者のアプローチ


はじめに
 将来の核兵器廃絶を担うのは今の青少年であるという意味で、青少年が核兵器廃絶の行動を起こすことは継承の問題を考える上で重要であり必要なことである。60年は大きな継ぎ目であるといわれていたが、61年目を迎えて若い世代の頑張りがより注目されているように思う。60年を超えてなお軽視されてはいけない問題が現在多く残っているからである。これまで多くの方が努力されてきたことを受け継ぐ責任がかならず若い世代にあると信じる。
  しかし、青少年がこれらの問題に取り組む活動をするためにはできるだけ多くの方の協力を得る必要がある。また、なにかしらの行動で気持ちを表す必要がある。そしてさらに単発の活動で満足するのではなく反省を重ねて継続していかなければならない。
  もう一度当フォーラムを機に考えて進展させるべく今回のフォーラムではいくつかの目的を立てて計画した。その目的とは
1、県内県外へと広げること、
2、具体的な活動に向けたものであること、
3、継続的な活動を目指すものであること、である。

全体の流れ
 報告を行ううえで、まず説明をさせていただくのは全体の構成である。青少年フォーラムは他の分科会と違ってスピーカーを特にたてることはしなかった。それは若者自身に自分の考えを語り合っていただきたいという考えからである。約50人の青少年がスピーカーという位置づけで参加した。
 まずプレゼンテーションによって核兵器に関する知識を全貞で確認して高めた後、被爆者による講話を受けて反核兵器に向けての気持ちを高めていく。最後にグループごとのディスカッションでおいて具体的、継続的な活動についての個々の結論を出すというものである。
 ディスカッションに参加したのは高校生、大学生を含む10代20代の男女である。県外からも国外からも参加していただいた。一般者の傍聴者も多く来場していただき、フォーラムを見守っていただいた。
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プレゼンテーション
 青少年が活動をするために必要なのは、まず核兵器についての確かな知識である。長崎に落とされた原子爆弾とその被害についてはもちろん、現在世界各地に存在する核兵器の脅威についての知識を得るためのプログラムがプレゼンテーションである。またこの場にいる参加者が情報を共有しディスカッションを円滑にする目的もある。青少年フォーラムコーディネーターの、茅野龍馬と増永智子がパワーポイントを使って説明をした。
 まず強調されたのは我々が核兵器にかかわっていくことの大切さである。「問題は、それに気づいた人が問題として提示して、初めて社会の中の問題として提示される」と伝えた。60年を超えてこのまま風化が進めば誰も問題として取り上げなくなる可能性がある。問題としない人が増えれば問題は問題として感じられなくなるからである。しかし、問題の真には必ずその間題に苦しむ人がいるか、もしくは将来に生まれてしまう。今、このフォーラムで感じて気づくことができたのであれば、青少年は問題を問題として積極的に提示していかなくてはならない。それは自分たちの生活の中で行動にあらわすということである。青少年の、学生の活動はここに意味があるのかもしれない。
 さらに、核兵器の特別性についての説明も行った。なぜ核兵器を特別に取り上げる必要があるのかという問題である。ここでは核兵器の3つのエネルギー、爆風・熱線・放射線についての説明も合わせて行った。平和のための問題に核兵器は必ず関わる問題であるし、こと長崎・広島においては核兵器の問題が大きく取り上げられる。それは核兵器の恐ろしさがそれほどのものであるということである。銃火器とは違って、後遺症、幾世代に渡る被害、無差別性、などが核兵器の性格として取り上げられ説明された。

被爆者講話
次に、反核兵器についての気持ちを高める意味で二人の被爆者から講話をしていただいた。話していただいたのは下平作江氏と山脇佳朗氏である。お二人には被爆当時の話だけでなく我々青少年と同世代の頃の話、つまり両氏が10代から20代の頃のお話と、いま青少年に望むことをしていただくようお願いした。短い時間内で非常に貴重なお話をしていただいた。
下平氏は残された子どもたちのつらい戦後を話の中で、妹の話をされ「生きる勇気を私は選び、死ぬ勇気を妹は選んだ」と平和への願いの根本に『家族への想い』があることをお話された。山脇氏もまた食程難に苦しんだ戟後を語り、アメリカ兵とのやり取りも含めながら、若者に求めることを語った。
 この話を受けた青少年スピーカーたちは「被爆者の願いが率直に示されたのがよかった」という感想が多く寄せられた。被爆者の存在は我々に多くのことを示してくれるが逆に実際の被害にあっていないことを被爆者でない自分が容易に語ることができないという思いが青少年の心にあることがある。しかし、今回の講話では「ぜひ語ってほしい」「自分の言葉で自分の感じたことを語るので良い」というお話がされ、「被爆者が身近に思えた」という意見もあった。
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ディスカッション
当フォーラムのメインであるディスカッションはこれまでのプレゼンテーションと講話を踏まえて、知識と感情を高めた状態で行われた。青少年スピーカーを10人程度のグループに分けそれぞれのグループの進行役が意見をまとめて発表した。最後には各班の進行役から「若者に何ができるか」を具体的長期継続的な視点で発表していただいた。
「単純にここで結論を出すわけにはいかない」という慎重な意見や、「連帯の輪を広げていくこと」「身の回りからでいいから発信していくこと」「少しずつでかまわないから何かを続けていくこと」「会話の中で話すこと」など、多様な意見が出された。
その中でも多く意見が出されたのは、若者同士が輪を作り広げていくということであった。これは当分科会の目的の一つでもある。
  分科会には広島や東京、国外からの参加者もおり、そういった人たちと語り合えたことが良い刺激になったという声もあった。「一人で声を上げるのは難しい。しかし少なくともここに集まったメンバーの目的や願いは同じ、共有できたと感じる。だから、一人でやるのではなくみんなで共同することでやる気を与えられる。これからも『分かり合えた』ということを大切に頑張りたい」と、参加者の活動を励まし自分を励ますような感想もあった。
 「知ること」についても多くの意見が出された。被爆の経験がない我々はすべてを知ることはできないが、知り続けていくことで被爆者の気持ちに少しでも近づきたいという思いがあったようである。長崎にいても知らないことが多くあった、という意見は自分を振り返った意見として共感を得ていた。
 継続していくことについては、「青少年に何ができるか?」の問いに対する答えとして出された意見である。単純に答えを見出せない問題であるから、こうした答えが出ることも多かったようである。話すことや連帯をすることはもちろん重要だが、より効果的な行動活動を求めて、まずは今の気持ちを持ち続けて長くかかわって行きたいという答え方であった。
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アンケートより
 当分科会では短い時間で青少年スピーカーが話しきれないこともあってアンケートを実施した。本文にもできるだけ多くの意見を載せたかったが、すべてを載せるわけにはいかないのでこの場を借りて少しだけ紹介をしたいと思う。
当分科会全体の感想としては、良かったという感想を出してくれた方がほとんどであった。その理由としては「普段考えないことをしっかり考えるいい機会になった」「色々な意見を聞けた」「若い人が若い人同士で話せたことが良かった」などの感想があった。しかし中には「つらい話が多く、つらかった」という意見もあり、今後の実施の反省点として重視すべきである問題も提起された。
 プログラムのプレゼンテーションがわかりやすかったという意見が多かった。なぜ核兵器を特別に取り上げるのか、といった普投触れない問題を取り上げたことが新鮮であったという意見もあった。
被爆者講話では、被爆者の若者に対する願いが率直に述べられたことを歓迎する意見が非常に多かった。「若者にとっての道しるべになった」という意見が提示された。
 ディスカッションにおいては、すべての分科会の中で最長のプログラムであったにもかかわらず「時間が少ない」という意見が多かった。反省材料となるとともに充実した議論になっていたことをうれしく思う。ディスカッションの前のプレゼン、講話がディスカッションをするにあたってよい材料になったという意見が多かった。
 分科会後の気持ちの変化には「何かしなければならない」「何かしたい」という意見が大方を占め、多くのスピーカーの今後の活動にも参加したいという意思が確認できた。すでに県外に就職進学等で出ることが決まっている参加者もおり、「県外でも続けたい」という心強い意見が出された。当分科会のコーディネータでは継続的な活動として、今後も何かしらの活動を行いたいと考えている。それはこのフォーラムの結論を生かしたものになると考える。
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まとめ
学生がする活動には二つの意味があると考える。一つは学生のうちにできることをするということ、そしてもう一つは学生時代の活動を程に、将来においてさらに発展的な活動に結びつけることである。
一つ目の意味において長崎では、ピースボランティア、高校生平和大使、100万人署名や、毎年継続されている8・10会議など様々な活動がなされている。しかし、その広がりはまだ充分なものとはいえない。また二つ目の意味においても学生時代の活動は卒業とともに途絶えることもあり、継続的な活動になりがたい。青少年は先輩方も含めて毎年多くの方々の支援を受けて活動をしているが、問題の重要性が伝わりきらなかったり、伝わっているが活動にまで発展しなかったりということが少なからずあるようである。
なにが問題か。それをコーディネーターたちは何ケ月もかけて議論しあってきた。興味がない、おもしろくないという意見もあるだろう。それら理由の中の一つに敷居の高さがあるのではないだろうか。周囲から見て「大きなことをしている」「平和のために良いことをしている」という感覚が活動する若者を特別な存在として感じさせている。しかし、実際に活動する若者は特別えらい存在でもないし、大きなことをしているわけでもない。普通の感覚で核兵器の問題を見たときに、核兵器が許せないと感じるから若者は活動に参加するのである。面白くないかもしれない。しかし、やらなければならない「気がする」。そういった単純な動機を広めたいと思った。今回の分科会ではできるだけ素直な心と頭で核兵器を感じ考えてもらいたかった。その中で「行動する意味」は必ず心の中に芽生えてくるだろうという考えからである。
学生時代の活動を応援するために我々はもっと活動の輪を広げていく必要がある。活動する人が特別な存在であってはいけないだろう。核兵器を許せないと感じる人が多い世界がより正常な世界であるためにまずは拡大していくことが必要だと考える。そして、その気持ちを社会にでてからも大切に、それぞれの生きる場所でそれぞれのやり方でライフワークにしていただきたいと願っている。
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